最近、ピアノのレッスンを受けながら気づいたことがあります。
何か楽器を習っていた経験のある方はご存じだと思いますが、レッスンを受けるときは、1レッスンの時間の長さに対してレッスン料が決まっており、その時間内で受けるシステムになっています。
私の場合、習い始めた時は、そんなに練習ができるか未知数だったこともあり、以前習っていた時よりも短めの時間にしていました。
でも最近はコロナの影響で時間ができたこともあるし、また私自身が少しずつ軌道に乗ってきたこともあり、習い始めた時より家での練習時間が増えました。
その結果、最初よりは教本・練習曲・楽曲など、次のレッスンまでにやる課題が増えたんですね。
私としては嬉しい半面、最近レッスン時間が足りなくなり、時間切れで全曲見てもらえないことも出てきました。
それでもこの月謝でこの時間、と決めていたので、次回は今回見てもらえなかった方を優先にしてもらえばいい、くらいに思っていたのですが、最近それでは不都合を感じるようになってきました。
それは、いくら自分でたくさん練習していったとしても、レッスンを受けられない期間が長くなるとちょっとずつ自分の演奏が変になっていくのを感じるようになったのです。
変になっていく、という抽象的な表現しかできないんですが。。(^^;
何となくしっくりこないし、たとえそう自分で感じていなかったとしても、次回のレッスンでピアノの先生に見てもらうと、指摘される内容がとても多いのです。
どうしてなのかな?と考えてみました。。。
レッスンの仕方はピアノの先生によっても違いますから一概には言えませんが、私の先生は、一度に直すべきところを全部指摘するのではなく、その時の私の状態から直すべきところや改善すべきところを少しずつピックアップして次回にはまた次の段階へ、または別の個所へ、という感じなんですね。
なので、何度もレッスンを受けないと一曲が仕上がりません。
でも、私としては一度にたくさん言われても直せないのでそれで良いと思っています。
ただ、レッスンを受けられない回が出てきて自分だけの練習期間が長引くと、まだ直してない部分を直さないまま弾きこんでしまうことになるからかえって良くないのかもしれない、と思いました。
また、ある一定期間以上自分だけで練習していると、そんな意図はなかったとしても我流に流れていってしまうのかもしれない、とも思いました。
どちらにしろ、本当に向上したかったら、どんなに頑張っていたとしても自分だけでは限界があり、定期的に専門家に見てもらう必要があるという事を痛感しています。
そしてこれは霊的なことも同じだなと思いました。
どんなに信仰歴が長くても、定期的に霊的な専門家にメスを入れてもらわなければ「自分式」になっていってしまうということです。
どんな分野でも、自分だけで何かをやり続けていると、どうしても、悪気はなくても我流になり、自分式が確立してしまいます。
それで良い分野もあるかもしれませんが、霊的なことはそれだと危険です。
天国への道の本道から逸れてしまうと、そこはサタンの道につながってしまうからです。
だから毎週、最低でも主日に神様の御言葉を聞くという事は人間の成長にとって大切なことなのだなと思いました。
自分たちには定期的に天国の専門家に教えてもらう機会があるということ自体が祝福ですね。
改めて、毎週御言葉があるという事に感謝した次第です。