今週は、「研究し、努力し、易しくやろう」という説教でしたね。
研究したら易しくなる、というのはいろんな面でその通りだと思います。
私事で恐縮ですが、ピアノがまさにそうなんです!
とは言っても、自分が研究したのではなく、研究の恩恵を受けた、という話なんですけどね。
私は子供のころからピアノを習っていたのですが、大学生の時に歴史に呼ばれてからは練習時間が取れなくなったのでやめてしまい、それ以来は弾いてはいたけれどちゃんと学んではいませんでした。
それから25年以上経って再びピアノを習い始めたのですが、再開し始めた時にピアノの先生に言われたことが余りにも衝撃的でした。
自分が指摘されるだろうと予想したことと全然違う事を言われたからです。
私が学んでいなかった間に、ピアノを弾くための力学的な研究が進んで、一番効率よく弾くための手の形とか弾き方などが、私が子供の頃に学んだ事とは全然違っていたのです。
なので、ピアノを再開した当初はかなり戸惑いましたよ。
だって今までこれで良いと思っていたことが良くないことに変わっていたのですから。
それこそ浦島太郎になった気分。(笑)
でも、この弾き方をマスターすることが私のピアノの限界を突破するカギだと確信し、自分の弾き方を全面的に変える決心をしました。
それ以来、どうやったら早くこの弾き方で弾けるようになるのか、研究しながら練習しています。
今もまだ以前の癖が直りきっていなくて、完全マスターしたとは言えないのですが、少しずつ効率の良い弾き方ができるようになってきました。
まぁ、40年以上旧式の弾き方で弾いてきてしまったのだからすぐには直りませんよね。
でも、以前より無駄な力が抜けて力まず弾けるようになってきたので、疲れにくくなったし、指の運びもスムーズになってきました。
まだまだ改善の余地があるのですが、手ごたえは感じていて、もっと改善したいという意欲が出てきました。
以前は手が痛くなって弾けなかったような曲も弾けそうな感じがしてきたから。
もし、私がずっと以前のままの弾き方にとどまっていたら弾ける曲が限られて楽しめなかったと思います。
ですから、研究が進んで最先端のやり方でやれば、何事も易しくできるようになるのだということを実感しています。
聖書もそうですよね。
以前は難しく考えるしかありませんでした。
でも、先生が聖書を研究してくれたおかげで聖書がとても易しく理解できるようになりました。
無理矢理信じたり辻褄を合わせたりする必要がなくなりましたからね。
何事も、何か違和感があるものは研究の余地があるのだと思います。
講義や伝道についても研究すればもっと易しくできる方法があるはずです。
どう考えても怪しまれるし不信感を抱かせるだろうと分かっているのに、敢えてその方法でやることが信仰だと考えるのは変だと思います。
昔はそれが普通だったけど今は変、というのもあるでしょう。
今は今の時代に合うように、どんどん研究して自然に易しくやってけば、結果も良いものになるはずです。
常に研究して、常に最新の方法でやっていきたいですね!