今日、ちょっと時間があって、というか、心の余裕があって久しぶりにピアノを練習しました。
練習した、と言っても本番が近いわけでもなく、なんとなく久しぶりに弾きたくなった曲があったので弾いてみたんです。
その曲はベートーベンのピアノソナタ「悲愴」。
これを初めて弾いた時中学生だったんですが、その時ピアノの先生から「あなたの悲愴は明るい悲愴ね(笑)。」と言われ、帰ってきてそれを母に伝えたら「本当にそうね(笑)」と言われました。
別にその言葉に傷ついたとかショックだったとかは全くなく、多分そうだろうな、と自分でも納得してしまったんですが、同時に、なんとなくベートーベンに対して苦手意識が入ったのも事実です。
実際、私はもうちょっと軽めの雰囲気の曲の方が得意だったんです。重々しい曲は、多分性格に合ってなかったんでしょう(笑)。
でも、先日ベートーベンのことが話題になり、当時のことを思い出したらなんだか「悲愴」が弾きたくなりました。
久しぶりに弾いたので練習が必要でしたが、思ったより結構覚えてました。自分でもびっくり。頭より指が覚えてる感じでした。
さすがに今は中学生の時よりあれこれ経験したから、もっと違う感じで弾いてるつもりですが聞く人はどう感じるのかな。まだ明るい悲愴かな(笑)。まぁ、でも私にはそれはどうでもよいことなんです。
プロの演奏家は人に聞いてもらって感動してもらうことが仕事だと思うんですが、私はそうじゃなくて、部屋を閉め切って誰も聞いてない状態で完全に自分の世界に入り込んで弾くのが好きなんです。
私は職業柄か、意外と感情を思いっきり表に出すことがないんですね。出してるようで出してないというか。。。
でも、ピアノを弾くときは無言ではありますが、思いっきり感情を出しているんです。そういう時は人に聞かせたいとも見せたいとも思ってません。
お祈りの時間も神様との対話の時間だけど、ピアノを思いっきり感情込めて弾く時間も私と神様だけの時間です。
無言で私の思いをぶつける時間。私なりの神様との対話の手段の一つです。