私の自論

実践すると悟る!

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皆さん、聖書を読んだり、講義や説教を聞いたりしながら「あ、そうか!」と感動することがあると思います。

これを「悟った」というのか、「理解した」というのか。。。

本当に礼拝中に聖霊が下って「悟った」という状態になる人もいると思います。

でも、大半は「理解した」という状態だと思うのです。

なぜそう思うのかというと、私自身がそうだったからです。

最初は読んだり聞いたりして新しい発見があるたびに「悟った!」と思ってました。しかし、後で本当に悟った時に「あれはただ理解しただけだったんだな」と認識したのです。

どういう時に「悟った」と認識したかというと、私自身が、聖書の場面や講義・説教等で出てきた場面に遭遇し、体験した時です。みことばを実体験した時。

その時に「あぁ、あの時聞いた話はこういう事なのか」と、みことばを心の底から実感するのです。

つまり、みことばを行なっている時に「悟る」という次元に行くということです。

そういう体験がたくさんあるのですが、今日は例として一つだけご紹介しますね。

列王紀上17章に、エリヤがザレパテの女のところに行く場面があります。その時飢饉だったにもかかわらず、エリヤは女に「自分のためにパンを作れ」と言います。そうしてくれたら「かめの粉は尽きず、瓶の油は絶えない」ようになるからと。

そして実際、女がエリヤの言った通りにしたら家には「かめの粉は尽きず、瓶の油は絶えなかった」というのです。

普通に考えたら滅茶苦茶な話ですよね?

これは「エリヤとカラスのパン」の講義で学ぶ箇所です。聖書の読み方の講義。

講義では、実際に粉や油が自然発生的に増えるという非原理的な奇跡の話ではなく、誰かが入れるから増えるのだ、と学びました。

それ自体は異論がありません。でもこれは増える原理を説明しただけです。

どうしてエリヤのためにパンを作ってエリヤを住まわせたらその家の粉や油が絶えないようになるのか、という根本的な事は分かりません。

聞いた時は「すごい!」と思って感動していたんですけどね。

これについては私が牧会しながらハッキリ悟りました。

開拓教会の時です。まだ家を教会として使っていたような時代。

当時は一人でも多くの人に「また来たい!」と思ってほしいと思い、聖書の講義だけじゃなくて、来た人のために常におやつを用意したり、食事を用意したりしていました。

だから、講義の準備の他に、もてなしの準備などあれこれ忙しかったのです。

食事の準備は当然買い物から始まります。そして新入生が来る時間から逆算して事前に作っておいたり部屋を掃除したりなど様々な準備をしました。

開拓時代は人がいないのでこういことを全部自分でやってました。

その甲斐あって次第にコンスタントに人々が教会(=家)を訪れるようになりました。

そうなると、みんな自然と差し入れを持ってきてくれたり、メンバーが来る途中安い野菜を買ってきてくれたりするようになったんです。

とにかく毎日霊的肉的に準備が忙しかったし、人がたくさん来るからその度に講義したりもてなしたりして休む暇がなかったけれど、教会としては少しずつ栄えていきました。

そんな毎日を過ごしていた時に、ふと「エリヤもこういう感じだったんだな」と悟ったのです。

時代や地域が違うので「かめの粉」や「瓶の油」じゃなかったですが、いつの間にか教会にはお菓子や食材が絶えないようになりました。(笑)

つまり、エリヤはザレパテの女の家で御言葉を伝えたりもてなしたりしながら忙しく神様の仕事をしていたという事です。

最初はエリヤ自らが食糧を調達しに行ったと思います。私もそうでしたから。

でもそのうち来る人達が持ってきたり、買ってきたりするようになっていったのではないかと思います。(推測です)

そうしたら、その家は元々やもめ女と一人息子だけの寂しく貧しい家だったのに、エリヤが来てから人が多く集まるようになり、栄える家となって、結果として粉や油が絶えなかった、という事なんだと思います。

「エリヤが来たから奇跡が起きたのだ」と無条件受け入れるのが信仰だしそれで十分だ、と思うのも人の自由ではありますが、行間に隠された真理を悟ると、その時の神様の心情やエリヤの苦労などが感じられて感慨深くなり、より深い信仰になります。

そしてこの悟りは体験によってのみ得られます。

読んだり聞いたりすることも大事ですよ。まずは知って理解しないといけないですから。それが第一段階。

その後で自分が神様の仕事をしながら体験することで、現実を悟り、確信が得られます。

見聞きしながら知ったことや理解したことは放っておいたらそのうち忘れますが、悟ったことは実体験として強烈に心に刻まれるので忘れません。

だから、実践して悟ったことは自分の霊的な武器になりますし、権威になると思います。

実践は誰かが代わりにやってくれることはありません。やってくれても、やってくれた人の悟りになるだけで、自分の悟りになるわけではありません。

自ら実践して、様々悟って自分の霊をより強くしていきたいですね!

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