毎年この時期になると、主日の説教で罪の話や功績の話、裁きの話などが出てきます。
でも大抵、あなたに罪がある!という話よりは、神様を信じ、愛していることが功績だ、というような話なんですよね。
昨日もそんな感じでしたね。
初めは、こうやって一年の締めくくりに特に実績も出せなくて落ち込んでる人を慰めてくれてるんだな~と思ってたんですが、私自身が年を取るにつれて、本当にこれが大きいのだな、と思えてくるようになりました。
今までいろんな人を見てきたので。。。私の目線で見たら大きな実績を立てて先生にも重んじられているように思われていた人でも今いない人が結構いますし。
実際、信仰生活というのは自分と神様のみで出来るわけじゃないですからね。教会でいろんな人と協力しながらやらなければいけないし、自分も含め、まだ復活中ですからうまくいかないこともあります。
納得いかない事や、合わない人など出てきてしまうこともしばしば。
それで精神的に落ちてしまったり、教会に行くのが嫌になったり、信仰そのものが揺れてしまったりするわけです。
そうやって来なくなってしまった人はたくさんいます。
過去には頑張って大きな功績を立てた人でも心に傷ができると簡単にいなくなります。
決して頑張らなかったからいなくなったというわけじゃないんです。
それくらい、精神的なダメージって個人的には大事件になるんですよね。
だから、毎年年末を主と共に迎えられることが功績だというのはただの慰めじゃなくて、本当に大きなことだなと実感します。
自分にとっての大事件が起きなかった人はそれも祝福ですし、大事件があったけれども乗り越えられた人は本当に大きな功績者だと思います。きっと神様も喜んでおられるでしょう。
とにかく、霊的に生き続けている、という事が功績です!何とか生き延びてる、という状態でも功績です!
だからみんな功績者です!
今年もあと10日を切りました。今年の祝福をちゃんと受けられるように、残りの日々をお互いの功績を褒めたたえあいながら、感謝と喜びで過ごしたいですね!