最近の様々なニュースを見ながら、改めて「自由」について考えるようになりました。
例えば、アメリカでは「個人の自由」を理由にマスクをつけない人が多いのだそうです。
うむ。。。マスクをつけない自由って。。。どうなのかな?
また、話は違いますが、日本ではSNSなどを廻って「言論の自由」というのも話題になってますよね。
言論の自由とか表現の自由とか。どこまでが自由でどこからが誹謗中傷かとか。
有名人が何か発言したり表現したりして炎上すると必ず「言論の自由」「表現の自由」が登場します。
なんとなく、しっくりこないんですよね。。。
それで「自由」についての意味を調べてみました。そうしたら、ちょっとビックリしたんです。
以下、デジタル大辞泉より
- 自分の意のままに振る舞うことができること
- 勝手気ままなこと。わがまま。
- 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
- 法律の範囲内で許容される随意の行為。
どうですか?
なんとなく、上記の3,4が先に来ることを想定していたのですが、真っ先に書いてあるのが「自分の意のままに振る舞う」ということと「勝手気まま。わがまま」なんですよ。
まぁ、言葉って概念がだんだん変化していきますからね。現代ではやはりこういう意味に捉えるのが普通なんだな、と思いました。
ということは。。。「自由」に対する保障って、意のまま・わがままOK!という保障なんですか?
それはちょっと違いますよね?
自由というのは責任も伴うものです。それがないならカオスです。
マスクをしない自由を発動するなら、しないことによる結果は自分が責任を負わないといけません。
自分が病気にかかるだけなら自業自得で終わりますが、他人に移したとなったら損害賠償や慰謝料を請求されても文句は言えません。
また、言論の自由を掲げて何かを発言した結果、誰かを窮地に追い込んだり、大多数の人を不快にさせたりしたのなら、それ相応の反応があるのは当然です。
「言論の自由があるんだから」というのなら、反応する自由もあるわけですよね?
結局、現代においては、本来はより良くなるために保障された「自由」が悪用されているのだなと思いました。
つまり「自由」がサタンの主管圏に移っているという事。
実際、わがままって本当に自由なのかな?と思うんですよ。
やりたいことはやるし、やりたくないものはやらなくていい、という自由ですよね?
人に迷惑が掛かろうがどうなろうが自分がしたいようにする、ということですよね?
その結果、社会全体が窮地に陥ったら、その社会の中に住んでる自分自身も結果として不自由になるんじゃないのかな?
神様のおっしゃる「自由」は真理の中の自由です。
真理の中だったら何をしても神様が祝福をくださいます。また、人間はそれを受ける自由もあります。
神様の祝福を受ける自由を行使しても、それによって誰かが不幸になる事はありません。自分も全体も幸せになります。
同じ「自由」なら、やっぱり神様の主管圏での「自由」を享受したいですね。
最後に、聖句を一つ上げておきます。(ちょっと怖めですが。。)
『若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。』(伝道の書11:9)