誰でも、失敗したり、間違ったり、指摘を受けたり、叱られたり・・・などの経験をしたことがあると思います。
したことがある、という程度ならいいですけど、それによってポジションを変えられるとか、場合によっては使命を取り上げられるなどの経験をしてしまうと、とても気分が落ち込みます。
または、そういうことがなくても、自分の落ち度によって何か全体に不都合が生じた場合、自責の念にとらわれて「自分はもうしない方が良いのでは?」という考えに陥り、自ら辞めてしまうという事もあると思います。
こういう時、たいていの人は挫折感に襲われて「私は失敗者だ」という感覚になってしまいがちです。
私も過去にそういうことがありました。ある日突然先生から指摘の手紙が来たり、人事異動の時にあらかじめ予定されていたポジションを就任直前に破棄されたり、「あなたのせいで○○」などの言葉を言われたり。
その時は本当にやる気がなくなりました。な~んにもやりたくないし、人にも会いたくないし、しばらく行方不明になろうかなと思ったり。
だから、ヤル気を失う人の気持ちはわかります。
でも、今になって思うのは、それは本当の失敗ではなかった、という事。
なぜなら私は今も生きて存在しているから。
本当の失敗は、完全に停止してしまうことだと思います。
ヤル気がなくなった時は、一時停止をする時だと思えばよいのではないかと思います。一度立ち止まって、周りをもう一度見直して、やり方の問題だったのか、立ち位置そのものを変えるべきなのか、などについて考える時だと思えばよいと思うのです。
一時停止して、呼吸を整え直して、落ち着いて考えてみると、違うアイディアが浮かんでくるかもしれません。
人は持ってる何かを失った時はものすごく喪失感を感じますが、それは新たなものを得るチャンスかもしれません。
改めてゆっくり聖書を読んでみるのも良いと思います。
そうやって神様の圏内で一時的な休憩をした後、また動き出せば良いのです。
その「一時的」な時間がどれくらいかかるかは人によって違うと思います。数日で済む人もいれば、何か月もかかる場合もあるかもしれません。でも、最終的に動き出せば良いのです。
永遠に動かなくなってしまったとき、それが本当の失敗だと思います。
謙虚も度が過ぎると自己卑下になってしまいます。
神様は必ず道を開いてくださいます!だから焦らず落ち着いて着実に自分の道を行きましょうね。