私は自分で言うのもなんですが、今の使命も含め、わりと新しい分野に挑戦してきたタイプだったと思います。
牧会していた時はいち早くインターネットを使って伝道していましたし、SS伝道や壮年部伝道もしていました。
記憶が定かではありませんが、確か、2000年前後(今から約20年前)からインターネット伝道はやってたと思います。
SS伝道も’95年時点でやってたし、壮年部伝道も’98年にはしてました。
当時は周りでキャンパス伝道が主体だったからSSも壮年部もほとんど存在していなくて、一部の人からは『そんなことして良いの?』と言われました。
インターネットを使った伝道に関しても、当時は『それ危なくないの?』と聞かれました。
今の使命を始めた時も『すごい大胆だよね~』と言われました。
こういう経歴があったせいか、たまに「人の目が気にならないタイプ」「日本人には珍しいタイプ」というカテゴリーに括られることがあります。
でも、私も日本で生まれ育った典型的な日本人です。しかも昭和世代です。だから人の目が全く気にならないという事はないし、あまりにも批判され続けたら傷つきます。
実際、それでブレーキがかかったこともありましたよ。
それでもいろいろ新しいことにチャレンジしてきたのも事実です。
今振り返ってみて、ブレーキがかかったものと実行に突き進んだものとの違いって何だったんだろう?と考えてみると、多分自分の中で、人の目が気になる気持ちよりやりたい気持ちが勝っていたもの、自分の中で確信があったものは実行に突き進んだと思います。
例えば、SSや壮年部を伝道したことについては、当時は大学生を伝道するのが当然というのが周囲の認識でしたが、まず第一に、先生の口から高校生や壮年部を伝道してはいけない、という話を聞いたことがなかったということです。
また、私はカトリック出身ですから、カトリック教会には全ての世代がいたので教会はそういうもんだと思っていた、というのもあります。
つまり、いくら人からああだこうだ言われても、『SSや壮年部を伝道してはいけない』という明確な理由が自分の中になかったということです。
インターネットを使った伝道も、当時誰もやってなかったことですが、自分の中で「文明の利器は真っ先に救いに使うべき」という考えがあったのと、単純に、やってみたいという好奇心からですかね。
私自身、好奇心が旺盛という性質は認めます(笑)。
だから、どうしてもやりたくなってしまったものに関してはいちいち許可なんか得ませんよ(笑)。
その代わり、やる時は全部自己責任でやります。
誰かの許可を得るとうまくいかなかった時に『○○さんがやっていいって言ったからやったのに。。』という事になりますし、許可が得られなかった場合『○○さんがダメって言ったからできなかった』という事になりますよね。
どっちも後悔しかありません。
でも、自分が勝手にやったことなら少なくとも『○○さんのせいでやりたかったのにできなかった』ということはないし、人のせいにもできないから逆にどうすれば良かったのかという事を研究します。
失敗した時の予防線を張って、誰かのせいにできる状態にしておくのは安心かもしれないけど、新しいことはできませんし自分も成長できません。
多分皆さん性格が良すぎて良い子過ぎるんですよ。自分が勝手にやって人に迷惑を掛けたら嫌だな、と思うんじゃないですか?
だから迷惑は自分にだけ降りかかるようにしてやればいいのです。
そうまでしてやりたくないな、と思うならやめておいた方が良いかもしれません。
人から何と言われようと、たとえ失敗しようと『やりたい!』という気持ちが強ければ実行に突き進むと思います。
結局は強い動機ですね。
あともう一つ。御言葉と人の言葉は明確に区別した方が良いです。
先生も本当はいろいろ言われたら傷つくと思いますが、人の言葉より神様の言葉が大事だったし、「神様の御心を成したい!」という気持ちが強かったからあれこれ言われても突き進んできたのだと思います。
なんだかんだ言って世の中も神様の世界も『やった者勝ち』です!
いくら立派な理論を並べ立てても、やった人・やった功績にはかないません。
一度の人生、後悔なく生きていきたいですね。