先日、ある記事を読んでいたら、以前ホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」と発言していた事がチラッと取り上げられていました。(その記事の核心ではありません)
当時この発言が炎上して話題になったそうなのですが、私はよく知らなくて、ちょっとその言葉について調べてみました。なぜか引っかかったんです。
そうしたら2014年末~2015年秋くらいにかけて何度か反論し合いながらSNS上で議論されてたみたいですね。
もう5年も前の話だったとは。。。(苦笑)
ただ、実際専門学校のようなところで1年くらい学んで店を出して成功している人もいるわけですよね?
一方では、きちんと修業しないと、という意見もあるわけです。
こういう議論って寿司職人に限らず、現代の日本ではいろんな業界で議論されるじゃないですか?それで気になって私なりにいろいろ考えてみたんです。
それで私が問題だと思った事が2点。
一つは、修行開始年齢について。徒弟制度の始まりがいつからかははっきりわかりませんが、日本でも江戸時代ごろからあったのかな?(あくまでも推測)
とりあえず江戸時代と仮定して当時の事を考えると、今のように義務教育制度もないし、恐らく武士階級でなければ寺子屋で基本的な教育を受けた後、すぐに世の中に出るのが一般的だったんじゃないかと思うんですね。
ということは、今でいう小学校の中高学年くらいからじゃないかと思うんです。少なくとも大卒の年齢じゃないですよね?
現実的に考えて、小学生の子が修行に来たらまずは皿洗いとか、そういうお手伝い的な事から始めるのは自然な流れじゃないかと思うんですね。
それでそういう子が10年くらい修業したとしても、今の大卒くらいの年齢で一人前になってるわけです。
それを今の時代、高卒や大卒の人達に対して同じステップを踏ませようとしているところが時代性に合わなくなってるのかな~というのが一つ。
あともう一つは学び方について。
昔は職人さん本人から教えてもらう以外方法がなかったわけです。だから、厳しくされても意地悪されても頭を下げてその人から教えてもらわないと技を身につけることができなかったのです。
「見て学ぶ」ということも、本人が実際にやっているのを直接見るというのが基本。
でも今はいろんな方法があります。
話はちょっと逸れますが、最近フィギュアースケートの女子選手が4回転ジャンプをドンドン飛び始めたのはYouTubeの影響が大きいという記事を見たことがあります。
YouTubeに上がっている羽生結弦選手などの男性4回転ジャンパーの映像を繰り返し見て研究したそうなのです。しかもYouTubeは無料で自宅で見れます。
勿論、YouTubeだけで全てを習得することは難しいでしょうから、きちんとコーチからも学ぶと思いますが、補習として自主学習することが可能になったから「時短」で技を習得することができるようになったのかなと思います。
何でも制度ができた当時はそうすることにメリットがあって作られたものです。
しかし当時と今が様々な点で違うのに、制度を守ることだけにこだわりを持つといろんな問題ややりにくさが生じるのだと思います。
これは、教会でも同じことが言えると思うんです。
伝道の方法とかも含め、「今までこうしていた」という制度や手順にこだわりを持つと不都合が生じるんじゃないのかなと。
先生が凄いなと思うのは、先生自身は、比喩一つ解くために500回祈ったり、何か月も聖書を読んで考えたりなど苦労して手に入れたものをあっさり私たちに教えてくださることです。
教えてもらってからは自分の努力で身につけないといけませんが、なかなか教えてくれない、という事はないじゃないですか?
「自分はこんなに苦労したんだから」と言って私達にも同じステップを踏ませることはしないわけです。若い人もどんどん起用するし。
むしろ、先生が教えたのに私達がなかなか率先してやらないことがもどかしくて叱られる感じですよね。
何でも「そういうもの」という思考で固まっていると発展できません。
みことばには従順でないといけませんが、人の決めた制度にいつまでも従順でいる必要はありません。制度は出来た当時にはそれが都合よかったのです。
常に「今」何をどうするのが最善で最短かを考える必要があると思います。
そうすることで、教会がどんどん復興していくんじゃないのかな。。💛