平和を考えるとき、よく「世のため人のため」という事を考えると思います。
恐らく、自分以外の周囲に対してどうすべきかを考えると思うんですよね。
単純なことで言えば、人に良くしようとか、寛容にふるまおうとか、愛をもってとか。。。
または困った人に手を差し伸べようとか。
もう少し拡大すれば、どうすれば社会が良くなるのかなど考えたり。
いずれにしても、自分が周囲に対して、または世の中に対してできることを考えるのではないかと思うのです。
でも、よく考えてみたら、自分が快く他者に対して良くふるまえる時って、自分自身が満たされているときじゃないかと思うんですね。
自分が大変で辛い時に人に良くすることができないわけではありません。
恐らく多くの日本人は、民族性のせいか、自分が大変でも大変だとは言わず、周囲のために働くことができると思います。
でもそれは理性が働いて、やるべきだと思うからやるわけであって、心では「本当は私も大変なんだけどな。。。」と思うこともあるんじゃないでしょうか?
それが絶対いけないというわけじゃないのですが(時にはそれが必要な場合もありますが)、ず~っとそのままだといずれ爆発すると思うのです。
本心が伴わず、理性だけでやり続けることには限界があります。
だから、大義名分を掲げて、こうすべき、ああすべきと言うだけでは平和は成り立たないと思います。
たとえ一瞬できたように見えてもすぐに崩壊するでしょう。
だからまずは自分自身。自分が満たされるための行いをすることがとても大事だと思うんです。
私も過去そうだったんですが、まず自己救いとか、他より自分を優先に、というと、なんだか我儘なイメージがあって抵抗があったんですね。
皆さんの中でもそういう人がいるんじゃないでしょうか?
頭では分かっていても、いざとなると「でもやっぱりこうすべきだよね。。」と。
なぜか自分を優先することに勇気がいるんです。(^^;
でも、実際は自分がおいしいものを食べて満たされた後は、ごちそうが並んでいても躊躇なく人に勧めることができるのです。
「私はもういいから食べて」と。
その時は心から笑顔で言えるんじゃないですか?
それと同じことです。
自分自身が愛に満ち溢れているときに、溢れる愛を他者と分かち合うことができますし、自分が満たされていれば、自然と世のため人のためになることに興味がわいてくると思うのです。
そうなると、すべきだからするのではなくて、したいからする、となると思います。
自分自身も、周囲の人々もみんなそういう状態になれば本当に理想的ですよね?
無理やり作っている平和には限界があります。
平和は自分自身を満たすことから。
結局はこれが根本じゃないのかな?