昔私がよくやってしまっていたこと。(^^;
私はこの真理に絶対的な自信があったので、世の理屈には絶対に負けない!という自負心がありました。
それで何か言いがかりやイチャモンめいたことを言われた場合、徹底抗戦(?)して論破しないと気が済まなかったんですね。(^^;
この真理が負けるわけないと。
それで。。。結論から言うと、負けたという自覚はないです。多分、議論に勝ち負けを付けるなら、この真理に関する議論に限定すれば負けたことはないと思います。
当時はそれで満足でした。やっぱり負けるわけないんだと。
でも、ある程度大人になってから違う考えが浮かんできました。
果たして私が論破した相手はその後救われたのだろうか???と。
恐らく答えはNOだろう。。。と思ったのです。
というのは、(ちょっと上から目線みたいで申し訳ないですが)私は論破したことによって、ある程度相手のプライドを傷つけ、恥をかかせたと思われるからです。
そのような目に遭った場合、その人は聖書やキリスト教に対して良いイメージを抱くでしょうか?
聖書を教えてもらいたいでしょうか?
自分だったらイヤだろう、と思ったのです。
それでハッキリ悟りました。
この福音を伝える目的は救いのためであって、相手を言い負かすためではない、と。
それ以来、議論はしないと心に決めました。
何か言われたら、「まずは学んでみてください。そのうえで質問があればお答えします。」というスタイルに変えました。
また、最初から救われる気がなく、議論が目的だと思われる人や否定したいだけの人は相手にしなくなりました。
今でもそういう人に対しては「私は議論する気はありません。興味があるなら是非学んでみてください。」と言って、ピシャっとやり取りを打ち切ります。(ちょっと冷淡?!)
福音は救いをもたらす神様からの喜びのメッセージです。
それを議論や争論の道具に使ってしまっては目的に反しますし、価値が喪失してしまいます。
一人でも多くの人が救いに至るように、この福音を嬉しい気持ちで広めていきたいですね。
これ、教会内でもあるあるですね^^; 事情を知らない人に、「御言葉でこう言ってたから、こうしなよ」って言われると、違和感がある時があります。し、自分もそうしてしまってるなと思います。
神様を信じてる人同士でも、知恵を持ってお互い悟りを共有していきたいです^^
そうですね。
御言葉は武器ですから無闇に振り回すと大変なことになりますね。
特に教会内では愛のある使い方を心がけたいですね。