ゼネレーションギャップを感じざるを得ない記事を目にしました。
最近は若い世代に「固定電話恐怖症」というのがあるようですね。
一言で言うと、電話に出るのが恐い、電話でうまくしゃべれない&聞き取れない、という事です。
昔から電話は苦手という人はいましたよ。でも、どの家にもあったし、小学生のころから電話を使わざるを得なかったので(というか、それが当たり前だったので)、医者にかかるような人は見たことがありませんでしたね。
だって、普通に日常生活の中で家の電話が毎日鳴るわけですから。電話を一回も使わない日なんてあったのかな??と思うほど電話は生活に欠かせないものでした。
クラスの電話連絡網とかもありましたしね。今もありますか?(すみません、最近の小学校事情を知らないので)
これも時代の流れなのかな?
私たちの世代は文字のコミュニケーションと言ったら手紙でしたからね(^^;。それよりは電話の方がず~っと手っ取り早かったので電話が重宝されてました。
因みに、私が大学生の頃も携帯電話は普及していませんでしたので、伝道するときも連絡手段は家の電話か公衆電話でした。(^^;
だからきっと、知らず知らずのうちにコミュニケーションスキルも一定レベルは身に付いていたのかもしれません。
世の中が進化した結果、人間の能力の一部が退化したという感じですかね。
そのせいかわかりませんが、昔より今の方が(心に関する)病気の種類が増えたような気がします。
この点に関しては私は「私の世代」に生きてることに感謝しています。
でもきっと、若い世代は今のように子供のころからスマホを使いこなしている世代に生まれて良かったと思っていることでしょう。
どっちの方が良いという話じゃないと思うんですね。
恐らく。。世の中は進化し、人間は衰えるというのは神様から見たら不本意だと思うのです。
それこそバプテスマのヨハネの「彼は栄え、私は衰える」という考え方と同じです。
だから、文明の利器は使いこなしているのに人間的な能力が衰えてしまうことも、せっかく世の中が進化しているのに文明の利器をつかえずにいることも、どっちも良くないんじゃないのかなと。
つまり、世の中も人間も両方復活するのが御心なんじゃないのかな?と。
どっちかに合わせようとするからうまくいかないと思うんですね。
一方的に年配の感覚に合わせようとしたら若い世代がストレスだし、若い世代のスキルに無条件合わせようとしたら年配の人は大変だし。
だからといって、大変がっている方の言い分に合わせていくとどんどん下がっていきます。
年配の人はスマホが使えないからスマホ禁止、なんてことにしたらイマドキやっていけないだろうし、かといって若い世代が大変がっていて可哀想だからさせない、だとやれる人にだけ負担が行って不都合が生じ、全体としては前進しません。
だからお互いに足りない所を補って引っ張り上げて行くのが良いと思うんですね。
なんとなく、現代社会は弱者に合わせるのが正義みたいなところがありますが、そうなると当然全体が弱者体質になります。
弱者で居続けて一生幸せに生きていけるならそれでもいいですけど、実際はそうじゃないじゃないですか?様々な面で弱者のままでは乗り越えられない現実というのも出てきます。
教会の体質もそうじゃないかな~と思うのです。
何でもかんでも「躓く」という一言に敏感に反応して躓く人に合わせていたら歴史が進まないし、かといって信仰面・精神面だけを強調しても現実はうまくいきません。
そもそも文明の利器も神様が与えて下さったものだし、人間的な能力や精神力・霊力も神様が人間に備えさせてくださったものです。
霊魂肉全ての面において神様の力を受けて弱者から抜け出すことが最新の復活なんじゃないのかな??。。個人的にはそう思います。
だからこそ、神様が人間に下さったものを最大限に発揮できるように自分を開発して生きていきたいですね!
職場の電話が鳴ると胸が苦しく…若者に広がる「固定電話恐怖症」って?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200216-00010001-yomidr-sctch