現代人は、完璧主義になる人や、人と比べて精神を病む人が増える傾向にあるそうです。
何となくイメージとしては、昔の日本の方が世間体を気にする人が多くて全体的に完璧主義のような気がしていたんですが。。。現実は逆のようです。
多分いろんな原因があると思いますが、SNSなどで個人が発信できる状態になり、自分の頑張りや長所を公にアピールできるようになったことが要因の一つとして挙げられています。
昔は世間体=「ご近所の目」を気にしていたのが、今は「SNSの目」を気にするようになった、という事なのかな?
でも、「ご近所の目」と「SNSの目」って気にする内容が結構違いますよね?
「ご近所の目」って迷惑なことをしていないか、慣習から外れたことをしていないか、または特別目立ったりしていないかなど、良くも悪くもその地域の秩序を乱す行為に対して厳しい目が向けられる印象があります。
一方、「SNSの目」って、自分がイケてると見てもらえるか、ダサく見えないかなど、SNS上の自分が他人から良く見えるかどうかの「目」ですよね。
そのバロメーターになるのが、「いいね👍」やフォロワーの数、コメントの数です。
残酷にも数が丸見えですから、数が少ない人、数が多い人で見る人の「目」が変わります。
「ご近所の目」は、何か問題が起きた時は苦言を受けますが、何もなければ何も言われません。
つまり、普通にしていれば何も言われず、平和に過ごせます。
しかし、「SNSの目」は何も言われないのが一番悲しい。。。しかも頑張っていたのならなおさら。。
多分、こっちの方が厳しいんじゃないのかな??
それに加え、イマイチなものにも冷酷な評価が下されるじゃないですか?それも丸見えだし。
例えば、隣の家の人のファッションがイケてないからうちが困っている、なんてことはないわけですが、SNS上でダサいファッションだったら容赦なく低評価の数が増えてしまいます。
しかもちょっとしたミスでも炎上しちゃうから怖いですよね。
「言葉狩り」もそうしたうちの一つじゃないかと思います。
「言葉狩り」をする人やちょっとしたミスに苦言を呈して炎上させる人って、多分完璧主義を他人にも求めている人だと思います。
というか、自分がそうしているうちに他人も「そうすべき」という風になっていくのでしょうね。
こうして精神を病む人や、完璧主義が増えていっているようです。
ここで言う完璧主義は、自分のできることを完璧にやろう!!と頑張ることではなく、自分が完璧かどうかを常に見てしまって、完璧じゃないと人前に出せない、とか、完璧じゃないとやる意味がないなど内向きな感じで捕らえてしまう完璧主義のことです。
こういう完璧主義は、言い換えると「失敗恐怖症」なのだそうです。
若いころから失敗をしたくない完璧主義に陥ってそのまま年を取るとすごく惨めになるそうです。
なぜなら失敗を恐れて何もチャレンジしてこなかったから経験値が少ないし、失敗のない完璧なイメージを崩すのが更に怖くなってしまうから。
確かにそうですね。。。
そしてこれは間違いなく、サタンの策略じゃないかと思います。
だって、明らかに人の成長を妨げているじゃないですか。
SNSの発信は御言葉も発信できるし、良い行いも広められるし、天の側が使えば素晴らしい世界が広まる良いツールですけど、悪の側が利用すると人にダメージばかりを与えてしまいます。
サタン論で学んだとおり、サタンってあからさまに悪いという印象を与えずにやるんですよ。
99%は正しいけど1%曲げるんです。
だから言葉狩りする人たちに対しても、なんか違和感あっても公然と反論する人はほとんどいないじゃないですか?
そうするうちに「なんかよく分からないけど。。。そう言われてみたらそうなのかな。。」という風に悪の側に巻き込まれてしまうんです。
SNS上でカッコ良く見栄えよくなりたいと思うあまり、ダイエットがエスカレートして摂食障害になる若い子が増えてるとも聞いたことがあります。
カッコよくなりたい、という思い自体が悪いわけじゃないです。けど、もっと完璧に、もっと完璧にとやりすぎて摂食障害まで行くと明らかにサタンの仕業です。
今はあちこちにたくさんの情報がある分、私たちはあちこちからいろんな影響を受けて生きています。
もし、色々影響を受けすぎて頭が混乱してきたら、「天の目」を第一に考えるという基本に立ち返ることをお勧めします!
「天の目」を考えることで、自分の脳に付着した余計な垢が落とされるでしょう。
「ご近所の目」や「SNSの目」ではなく、「天の目」を考えて、のびのびと心安らかに生きていきたいですね。