表題の通り、今日はパートナーについてお伝えしようと思います。
皆さんはパートナーと聞くと何をイメージしますか?
結婚なさっている方は配偶者を思い浮かべるでしょうし、仕事上のパートナーを思い浮かべる方もいるでしょう。
教会の仕事も、牧会者なら副牧会者がパートナーになりますね。つまり、二本のオリブの木です。牧会者だけではなく、それぞれの使命にもパートナーがいると思います。
二本のオリブの木って、あまりにも基本的で当然の事なんですが、本当に大事なのです。
私自身を振り返ってみた時、牧会でうまく自分の力が発揮できたのはパートナーの存在が大きかったなと。逆にイマイチだった時はパートナーと呼べる人がいなかったなと。形式上いたとしても事実上いなかったですね。
うまくいった時、うまくいかなかった時、それぞれどうだったのかを思い起こしてみたのですが、私自身がやっていることそのものはそんなに変わらなかったと思います。
教会ごとに牧会者の仕事が大幅に変るわけではないので。
教会ごとに個性もありますが、伝道し、説教をし、聖書の講義をし、面談をし、教会行政に携わり・・・等々基本は変わりません。
何が違ったかと言うと、とても単純なのですが、全体の雰囲気が協力的だったかどうか。やはり、全体がバラバラだったり、いちいち物申す系になるとうまくいきません。
その全体の雰囲気を作るカギがパートナーだったなと思います。
パートナーが協力的であり、かつ、お互いの個性を発揮して活躍でき、足りない面は補い合うことができるのなら、大抵はうまくいくと思います。
もし、パートナー同士、またはどちらか一方が対抗意識を燃やしたり、相手に嫉妬したりしたら当然うまくいきませんし、だからと言って、ただのイエスマンでもうまくいきません。
ただのイエスマンではうまくいかない、というのは、一つ一つ反発もしてみることが必要、という意味ではなく、ただひたすらこちらの言う通りにだけする人、何か言ったら言う通りにするけれど、自分からは何も提案しないし動き出さないという人の事です。
こういう人は大抵人当たりが良く、誰にも害を与えない人なんですが、仕事をする上ではとてももどかしいです。
また、イエスマンの中にはひたすら顔色をうかがってばかりの人もいます。それもこちらとしては疲れます。何も考えず、「○○さんが言うことなら全部良いです」みたいな発言は本当に疲れます。全部押し付けられてる気分になるからです。
イエスマンは事実上の主従関係ですよね。だからイマドキうまくいくはずがありません。実際にお互いパートナーと呼べる状態かどうかが大事です。
また、パートナー同士、全く同じ役回りをしているのもアウトです。つまり、やっていることがまるっきりかぶっているのはダメです。全体のどこかに穴が空きます。れぞれの役割分担があるのです。
これを拡大すると、指導者とついていく人々との関係性がどうかが教会全体の雰囲気を左右します。
人が多くなるとある意味仕方がないのですが、全体としてはイエスマンが多くなってる気がしますし、同じことをしようとする人も多いような気がします。
先生は以前、伝道について「雰囲気が大事だ。雰囲気で伝道するのだ。」とおっしゃったことがあります。勿論、真理が大事で信仰が大事なんですが、人って雰囲気に左右されますからね。頭で良いと分かっていてもなんとなく居心地が悪いと感じてしまったら来ないのです。
一人一人が「自分は主のパートナーなんだ!」という自覚、また、自分自身が教会の雰囲気を作っている一因になっているのだという自覚をもって、積極的な信仰生活を送っていきたいですね。