私達は人の言葉ではなくみことば通りにすることが基本なのですが、それも注意しないといけないことがあります。それは御言葉の受け取り方です。
私達(特に日本人)の癖として、自分より上の立場の人に何かを言われると無条件絶対服従か反発心が湧くか、そういう極端な感じになりやすいです。恐らく主従関係の癖がついていると思われます。
しかし、主はそういう関係を望んでいませんし、実際そういう関係性ではありません。愛する人として御言葉をくださっているのです。
例えば、「コーヒーは飲まないように」と言われたとしましょう。その時主従関係の頭では「あ、コーヒー禁止令が出た!」と命令としてとらえたり、「なんで人の飲み物までいちいち口出しするんだろう?」と反発心が湧いたりたりします。
でも、もし恋人がそういうことを自分に言ってきたらどうでしょう?そのまま命令として従いますか?「なんで?」とか「何かあったの?」などと聞くのではないでしょうか?
そしてよく聞いてみると、恋人の周辺でコーヒーを飲みすぎて胃を悪くした人がいたとか、コーヒーは良くないという記事を見たとか、なにかしら理由があるのです。
つまり、愛する人には良くないものは摂取してほしくない、健康でいてほしいと思うから言った言葉だったことが分かります。
だからコーヒーが本当に良いのか悪いのか、という議論をする必要はなく、「コーヒーは飲まないように」の核心は、「あなたに元気でいてほしい」という事になります。
それをただ言葉だけとらえて、ああ言われた、こう言われた、と言って憤慨したり落ち込んだりする人がいます。
また、御言葉を「命令」や「指示」としか思わず、学校の先生から何か言われたような感覚、上司から言われたような感覚で受け取る人もいます。
確かに、命令や指示がないわけではありません。しかし言わんとしていることがわからないと、ただ指示通りにしてもうまくいかないことがありますね 。
堕落に関してもただの禁止令だと威力がありません。堕落するとサタンの餌食になるから、そうなると霊魂が永遠の死の道に行くから、愛する人にその道を行ってほしくないから、という主の想いと永遠の死の世界の恐ろしさを分かって初めて堕落しなくなります。
特に、霊的なことは私達には分からないことが多いです。だから一瞬「え?」と思うことがあるのは仕方ないことです。
でも、主は私たちを愛して、救いのために「みことば」をくださっているという事を忘れてはいけません。
主が私達を愛してくださるように、私たちの方も愛する人を想う想いで主のみことばを受け取ると感じ方や入り方が違ってくると思いますよ。