今週、あなたの主管圏で探しなさい、ある所・いる所で探しなさい、ということですが、これは自分の向かうべき方向、努力する方向を考える上でとても大事だなと思います。
人間ってどうしても華々しいところに目が行ってしまい、自分もそうなりたいと思うのものです。
そう思って向上心が芽生えるということなら良いと思います。
でも、全く自分の個性とは違うところにあこがれを抱いてそこに向かってしまうと時間が無駄になってしまう可能性もあるんじゃないのかな?と思うのです。
いわゆる「才能」「素質」が大事ということです。
そして「時」も大事です。
分かりやすく言うと、今の私が「これからサッカー選手を目指そうと思う」と言って本気でサッカーの特訓をし始めたら、周囲は「はぁ?どうしちゃったの?」と思うでしょう。
健康のためにやってみよう、というなら問題ないですけどね。選手を目指し始めちゃったら悲劇です。
可能性はゼロだとは言いませんが、限りなくゼロに近いですし、私より若くて運動ができる人の方がはるかに有利だからです。
だから、スポーツ選手を目指すなら、運動の才能と、若いという条件が大事だという事です。
いまさら何言ってるの?と思うかもしれませんが、こんなことは誰でも知ってるはずなのに落とし穴にはまってる人も多いのではないかと思うのです。
特にまじめな性格の人。
まじめな人はあれもこれもきちんとこなそうとしてしまいます。
だから自分で「選択する」という事をいつの間にかしなくなっているのです。
実は、以前の私自身がそうでした。
とにかく何でも努力しましたよ。努力できることが自分の個性だとまで思っていた時もありました。
そして周囲の期待に応えようとしていたのです。
期待外れの人になりたくないなと思って。
そうやって今まで頑張ったことに関しては後悔してるわけではありません。それなりに学んだことはあったので。
ただ、今はっきり言えることは、どんな努力も等しく結果が出るわけじゃなかった、という事です。
だから、後輩たちにアドバイスをするとすれば、努力する時と方向性は見極めた方がいいという事です。
では、どうやって見極めれば良いのでしょうか?
これは、頭で考えて最初から分かればよいのですが、そういうわけにもいかないんですね。
だから一度はやってみないとどうしようもないです。
そこで、自分としては最大限の努力をしてみるのです。やり方もあれこれ研究したりして。その結果、うまくいくならそのまま進めばよいと思います。
でも、自分としては頑張っていてもなかなかうまくいかないものもあるんじゃないかと思うんですね。
一定期間やってもうまくいかなかったことに関しては、思い切って損切りするのです。
これがサッサとできるかできないかがカギになると思います。
でも、人って頑張ったものほど未練があって切れないんですよ。それまでに費やした労力と時間がありますから。
だからそういうものほど「自分の努力が足りないんじゃないか?」と思ってしまいがちなのです。
特にまじめな性格の人は。
そうしてズルズルと続けてしまい、それでも結果が出ずにだんだん自信を失っていく。。。という事態に陥ってしまったりもします。
何もやらずに最初から「自分はだめだ」と諦めるのは良くないですが、ある程度やってダメだったものはそれは自分の個性ではないのだと思って損切りし、方向転換することも大事なんじゃないかと思います。
私自身が自分で自覚している自分の欠点は、基本的にチャレンジャーなのでやり始めることはできるのですが、やめるのが苦手ということです。
昭和世代だからかわかりませんが、途中でやめるのは意気地なしのすることだ、という考えが頭の片隅にあるからなんです。(一応、分かってはいるのです。。。)
でも、意地や根性だけで人生は生きていけません。
神様が下さった個性の能力が自分の中にあるのに、それに目を向けるよりも、周囲の期待や一般的に良いとされていることにばかり目が行っていると本当にもったいないです。
もう何年も何かを目指し続けていて目処が立たないなら、もしかしたら神様が下さった自分の個性に気付いてないのかもしれません。
「最後まであきらめない」というのは言葉としては美しいのですが、何事にも当てはめてはいけないような気がします。
自分のセンターなら諦めずにやらないといけないですが、そうじゃないことで自分が苦労する必要はなく、そのセンターの人がやれば良いことだと思います。
自分の主管圏で探す、ある所・いる所で探す。。改めて大事な教えだなと思いました。
人生の時間を無駄にしないように、自分に対する神様の御心を探していきたいですね。