お互いそういうつもりじゃなかったのに、結果的に平和ではくなってしまった。。。という事が教会内で起こることがあります。
その要因の一つに、みんな良かれと思って霊的に話そうとして余計話が複雑化してこじれる、という事があるように思います。(全部の場合ではありませんが)
何というか。。。何でも霊的な意味付けをしてしまって相手の立場を悪くしてしまったりとか。。
例えば、何かちょっと嫌なことがあって、そこまで深刻じゃないけど軽く愚痴ったところ、それを聞いた人が「それ、何か意味があるかも」などと言って、あなたが御言葉からズレているのではないかとか、相手の心情を分かってあげなかったからじゃないかとか、いろいろ意味付けしてしまうということ。
それが適切なアドバイスである場合もありますよ。
でも、ちょっと気を晴らしたいだけだったのに、逆に自分が罪人のようにされてしまい、気分が悪くなって平和ではなくなる、という事例を結構見てきました。
または、(私自身も経験があるのですが)ある要因によって私に不都合が生じているので改善したくて話したら、逆に「あなたの方が悪い」という結論に持っていかれて腹が立ったこともあります。
不都合の要因は明らかだったのです。それを肉的に改善しさえすれば済むことなのに、わざわざ霊的な意味付けをしてきて、私に霊的な落ち度があるからそれが起きているかのような感じで言われたんですね。
正直、その時は私自身も不快感でいっぱいになり、気分が悪くなりました。
問題も未解決のままだし。
でも、言った方は霊的なアドバイスをしてあげた、というスタンスでしょう?
だから悔い改めるはずもなく、私一人で気分を害している感じ。
そうなると平和になりません。
大抵、そうなる場合は思い込みで言ってるんですよね。
私に対する思い込みもあるし、問題に対する思い込みもあります。その思い込みをもとに言うから頓珍漢になるのです。
ちょっとした勘違いで問題が起こることもあります。
ちょっとした勘違いはそれを解けばいいだけです。それを妙に霊的にしてしまうと、かえってこじれることもあります。
どうしてこういう事が起こるのだろう??と考えてみたんですが。。。
やっぱりいろんなことがパターン化されてしまっているからじゃないかな?と思うのです。
何でも霊的に意味付けることが正しいという思い込みから来るパターン化。
だから、そういうつもりはないかもしれないけれど、こういう場合はこう返す、とか、こういう対応をするとか、無意識のうちに回答パターンができてしまっているという気がします。
でも、実際は人間はパターン化できません。
問題も、霊魂肉のどの次元の問題かによって解決方法が変わります。
せっかく神様を信じて霊的により良く生きようとしているのに、信じている者同士で不和が起こるのは非常に残念なことです。
教会の中で、この思い込みとパターン化をなくすだけで、かなり不和が解消されるんじゃないのかな??と思う今日この頃です。