生きていく中で大胆さが必要な場面って大小様々あると思うのですが、多分、一番大胆さが必要な時って、変化を必要とされる時なんじゃないかなと思います。
特に改革が必要な時。
そういう時って、本当に大胆に、大げさに変えないと、第三者から見ると変わったように感じないものです。
例えば、最近の世の中のことで言えば、携帯料金やNHK受信料の値下げについて。
業者側が案を出したけれど、政府からもっと下げないと下げたことにならないと言われてしまってましたよね?
改革する側はあれこれ心配して恐る恐るチマチマやるんですけど、それだと大して変わらないんですね。
やった側は変えたつもり。でも、それを受ける側はそこまで感じない。
消費者側が高くないと感じるラインがあるわけですが、業者案ではそこまで達してないという事です。
そういうことがいろんな場面であるのではないかと思いました。
私事で言えば、ピアノを学びながら、ピアノの先生に「ここをもっとこうして」というような指導が入るんですね。
その時、私なりにやったつもりでも「もっと思い切りやらないとそう聞こえないよ」とよく注意されるんです。
それで「こんなにやっちゃって大丈夫かな?」と思うくらいやると、ようやく先生からOKが出ます。
それでも「それくらいが最低ラインね。もっとやってもいい。」と言われることもあります。
このように、自分としては勇気を振り絞ってようやく大胆に頑張ったことだとしても、受ける側はそこまで感じてないことって多々あると思うんです。
自分の考えの基準でやっていると、「頑張ったつもり」「変化したつもり」で終わってしまう可能性があるという事です。
ですから、実際にその基準ラインに達するには、自分が思っているよりも何倍も思い切り大胆にやらないといけないという事だと思います。
私たちが目指すのは神様が示してくださったラインです。つまり、御言葉。真理。
神様が私たちに「大胆にしなさい!」とおっしゃるという事は、御言葉を実践するとき、自分が思っているより大げさに、大胆にやらないと神様が満足するラインに達しないよ、という事なんじゃないのかな?
自分が思っているより大げさに!
そうした時に神様からOKがでるようになるのかもしれませんね。