使命に関して、今までいろいろなケースを見てきましたが、教会の中で問題なるケースは2つあると思います。
一つは、ある個人や一部の人が使命を独占しようとすること。
これは、今週の御言葉にもありましたね?分けて一緒にやらないといけないと。
使命は神様の仕事の一部を分けていただくことなので「自分のもの」ではありません。
神様のものであるわけですから、与えるのも取り去るのも神様だ、という認識がないといけないと思います。
そういう認識がなく、「この使命は私のもの」と思入れが強すぎると、使命が自分だけの領域と化し、それが偶像化してしまいます。
するとそこにサタンが入ります。
使命だから、と言うと周りも理解してくれるため、使命に溺れ、堕落したりズレたりしてしまうこともあるのです。
使命を理由に礼拝に遅れたりサボったり、使命者同士で堕落したりなどの問題が起こり得るのです。
また、教会運営的に見ても、使命を独占するとその人以外手を付けられなくなって不都合が起こります。
他にもできる人がいるのにその人だけがするから効率が悪いのです。
こういう点が使命を独占することの怖い点ですね。
もう一つは、使命をやりたがらないという問題。
一部の人だけに使命を任せて独占状態にするのも弊害ですが、周りにやりがたがらない人ばかりだとそれはそれで大変です。
使命の独占とは正反対の問題です。
無理やりやさせるわけにもいかないから、一部の積極的な人や断れない人に仕事が重くのしかかり、当然効率も悪くなり、周囲からの苦情が多発。
だからと言って「私も手伝います!」とは言わない。こうすべき、ああすべき、という声だけが聞こえてきて益々使命者に負担が行ってしまう、という悪循環になってしまいます。
この状況を見て「使命って大変そう」と思った人は益々やりたがらなくなり、これまた悪循環。
この二つの問題はセットだと思います。どちらが先か??というと卵が先か鶏が先かという問題と同じでどちらだとは言えませんが。。
独占するからやりたがらないのか。誰もやらないから独占状態になるのか。。。
いずれにしても、教会全体に、使命に対して積極的な雰囲気が作られると良いですね。
使命は神様の仕事だけれども、直接的には人間同士で決めますから。。与える側ももらう側もどちらも積極的であることが望ましいと思います。
みんなで楽しく使命をしながら恵み深く過ごせるという雰囲気が作られれば良いなと思います。
神様の世界では「積極的」になることが大切です。
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。」という御言葉がありますね。(マタイ7:7)
自分がやっていいのかな?自分から求めるのは図々しいのかな?という考えは捨てて、また、言わなくても分かってもらおうという心も捨てて、自ら求め動くことが大事です。
私自身も、今までいろんな使命をしてきましたし、使命を通してたくさん悟らせてもらいました。
全体が使命を通して恵みを分かち合えたら良いですね。