昨日に引き続き、最近思ったこと。
よく、表と裏がある人っているじゃないですか?勿論人は誰でも程度の差はあれ、ある程度は表と裏があるとは思うんですが、結構違う人っていますよね。
この人にはこういう態度を取り、あの人にはああいう態度を取り。。。なんというか、八方美人ともまた違うんですよ。誰にでもいい顔しちゃうんじゃなくて、同情してほしい人には弱い人のように振る舞い、威張りたい相手には強く振舞ったりなどの人。
または、普段鈍感なのに、何かがあると意識高いかのように振る舞う人。
それで表向きはとても善良な人として、または有能な人として見られているわけです。
私はそういう人に対して嫌悪感を抱いていました。正々堂々としていない卑怯な人だな、と。
ましてや、信仰のある人がそういうことすると、『この人は本当に信仰者なのかな?』と思ったりもしました。人は騙せても神様は全部知ってるのに。。。と
でも、最近なんとなく思ったんです。この裏表のある人たちにとって、裏も表もどちらもその人なんだなと。
どういうことかというと、今まで嫌悪感があったのは、ちょっと大げさな言い方をすると、本当は「裏」に当たる面が本性のくせにそれを隠して「表」を演技して見せている、という感じに思っていたからです。
でも、どちらも本性でどちらもその人なのでは?と思ったんです。
先にも言いましたが、人は誰でも程度の差はあれ、裏も表もあるものです。だから多分どちらも本性です。
恐らく・・・(これは私の考えですが)自己防衛本能の強い人があからさまに表と裏が出るんじゃないのかな?と。
理性の強すぎる人や正義感の強すぎる人は自分の中で自己矛盾を感じちゃって、あっちとこっちで違う人にはなれないんですが。。。
でも、私自身、この強すぎる理性と正義感で使命を果たしてきて実績も残せたけれど、反面かなり損もしてきたような気がしています。
先生は「度が過ぎるといけない」とおっしゃいました。良いものも度が過ぎると問題になります。
私は決して表と裏があることを肯定しているわけじゃないです。個人的には嫌なことです。それで傷ついたことも多かったから。でも、それに対決するかのように理性と正義感で押し通すのもどうかな?と思うようになりました。
そうじゃないと自分が「自己防衛」できないから。
何事も「適度に」「柔軟に」対応するのが良いですね。