最近、自分自身の事を振り返って、ふと思ったことがあります。
子供の頃より心が成長して大人になり、以前耐えられなかったことが耐えられるようになったこともあるけれど(それがほとんどだけど)、一部、逆もあるな~と。
以前は何ともなかったのに、今は嫌だと思ってしまうこと。
例えば、以前は「いちいち気にしない」として適当に流せたのに、今はなぜか敏感に反応してしまう言葉とか、相手の反応とか。
霊も心も成長したらもっと強くなるはずなのにこの逆転現象は何だろう??と疑問に思い、考えてみました。
考えたと言っても、ある日集中的に考える時間を持ったわけではなく、数か月前から漠然とした疑問を持ってなんとなく考えてたのですが、先日「もしかしてこれかな?」という考えが浮かびました。
それは、「アレルギー」。
アレルギーっていろいろあるとは思うんですが、花粉症みたいに先天的じゃなくて後天的に症状が出るアレルギーもあるじゃないですか。
聞いたところによると(私は医学の専門家じゃないので間違ってたらすみません)、花粉症はある一定量以上身体に入ると症状が出る、と聞いたことがあるんです。だから去年までは何ともなかった人が今年から症状が出た、という事が起こるのだと。
これと同じようなことが「心」にもあるんじゃないかな~と。
最初は聞き流していたことも、度重なると聞き流せなくなってきたり、最初は気にしなかったことも気になるようになってしまったりなど。
「聞き流す」という事はつまり、本当は聞きたくない言葉ですよね?敢えて「気にしない」ということは自分の中では不本意だったり引っかかるものがあったりすることですよね?
だから「聞き流していたこと」や「気にしないでいたこと」は自分の中では嫌なものだと思うんです。
それがある一定以上聞いたり受けたりして自分の心の奥にまで入ってしまうと、花粉症のようにアレルギー反応を起こすようになってしまうのかな?と。
アレルギーも身体に異物が入ったという反応だというじゃないですか?それは自分の意思とは関係なく無条件身体が反応してしまうわけです。
心も、ある一定以上嫌な言葉を聞いたり嫌な態度を取られたりしてそれが心の中に入り込んでしまうと、聞いた瞬間、その態度を取られた瞬間、嫌悪感や拒否反応が起こってしまうんじゃないかな~と。
これはあくまでも私の推論ですけどね。
でも、最初に我慢したり気にしないようにして何ともない態度を取ると、相手は『この人はこれくらいは大丈夫なんだ』と判断してその後も悪気なく平然と嫌なことを言って来たりしますよね。(苦笑)
そこに問題があると思うのです。
だから、私達は相手がいつも平気そうにしているから大丈夫、と思うのではなく、一回一回人の心の状態は違うし、日々変化するし、そもそも人の心の内なんて神様しかわからないのだから、習慣的な思い込みで接するのは避けないといけないんじゃないかな~と思います。
一つ一つの「聞き流したこと」「受け流したこと」は大したことなくても、それが度重なるといつか心には大きな重しとなりストレスになると思うんです。
実際、私自身それがストレスになり、過去に体調を崩したような気がします。
多分、初対面だったら誰でも気を使うし、丁寧な態度を取ると思うんです。でも、ある程度慣れてる人に対して間違いを起こしやすいような気がします。
人の心は表面だけ見てもわかりません。私達は神様じゃないので。
だから、誰に対しても接し方を気を付けなければいけませんね。