研究シリーズ第三弾!
今回は、研究というより、私自身がやりにくいと感じて変えたことをご紹介します。
それは。。はかりごとや隠しごとはできる限り無くすこと!
これは性格にもよるかもしれませんね。(笑)
私自身が元々カトリック教徒で聖書や教会という単語に全く抵抗がなかったという事と、後で辻褄を合わせたり言い訳めいた理由を並べるのが面倒だったという事から、できる限りはかりごとをなくす方向でやっていきました。
まず、家に人を招いて食事をする時は、その人が初めてだろうが何だろうが、必ずいつも通りみんなで食前のお祈りしました。
「うちはキリスト教の家だから」と言う理由で。
それから「アーメン」の意味など簡単に説明し、最後に「もし言ってみたくなったら最後にアーメンと言ってね」と付け加えました。
こういう事を、恐る恐るではなく、明るく通常運転の感じで言うんです。
経験上、これで躓いた人はほとんどいませんでした。もしかしたら表にあらわさなかっただけかもしれませんが。
でも、この程度で躓くなら聖書の勉強につなげることは至難の業だと思います。
というか、そういう方針にした、と言う感じかな。(笑)
むしろ、純粋なSSちゃんや大学1年生などは、感動して「感謝して食べるのって良いですね!」などと言ってました。
また、人がたくさん来て玄関に靴が散乱してるような状態の時は、そこに新入生がいようと何だろうと、汚いから直せと言う指令を出しました。
そういうときは新入生も一緒になって並べ直してましたね。(笑)
食器洗いも一緒にやってもらったし。場合によっては買い物も一緒に行きました。
極端な話、新入生が完全なるお客さんでいられるのは最初の1,2回くらいだったかも。。。
初期段階から裏側まで見せちゃう感じですね。
でも、私としては全ての事を陰でメンバーがこっそりやってあげるより良かったんじゃないかな??と思ってます。仲間意識が早い段階から芽生えるので。
あ、もちろん、「一目惚れ作戦」のような作戦を練る時は別ですよ。作戦は相手に知られたらいけませんからね。そういう時は全てこちらで準備しました。
食事中の会話でも、聖書や教会関係の話を禁句にすることはしませんでした。
というのは、そんな規則を作っても私自身がつい口が滑ってそういう単語が出てしまうから。(笑)
楽しい話の中に、どうしてもどさくさ紛れに出て来ちゃうじゃないですか。仕方ないです。
でも、食事の最初にお祈りしてるので不審がられることはほとんどありませんでした。少なくとも、『この人はこういう人なんだな』くらいで終わったと思います。
細かいことを言うとまだまだいっぱいあるのですが、全体的に、新しく来た人に躓かれないように気を使うのではなく、こちらのペースに巻き込む感じでやってました。
こうやって牧会者の私自身がやりやすいようにやったせいか、当時の教会としては宣教は進んだ方なんじゃないかと思います。
迫害に対する対応もかなりストレートな方だった。。かな。。
ひたすら耐えていたのではなく、攻撃すべき時は攻撃してましたからね。誰にでも良く思われようとは思ってなかったので。(^^;
サタンに良く思われてもしょうがないじゃないですか。サタンには断固として戦ってました。
正義感が妙に強すぎて「事なかれ主義」にはできなかったんです。
迫害対策も指導者だけに共有してみんなには秘密、という事はせず、大公開してみんなで戦う、という感じで進めてました。
まぁ、人数規模が今より小さかったからできたのかな?
ただ、これはあくまでも私が指導者としてやった場合です。私は面倒なことが嫌いなので何事もストレートな感じでやってたんですね。
ストレートにすると怖くてビクビクしてしまってかえってストレスだ、という人はやめた方が良いかもしれません。
私が全体的に思うのは、本当に気を使わないといけない所は霊的な事だ、という事です。
あちこちに気を使い過ぎて疲れてしまうのは本末転倒なんじゃないかなと。
とにかく、自分自身が違和感なくできるような方法を考えるのが一番です。
もし、やりながら違和感があったり、スッキリしないものがあるならば、どうすれば違和感が取れるのかを考えて方法を変えてみても良いかもしれませんね。
それも研究の一つだと思います。
皆さんの上に主の祝福がありますように💛