私の自論

行動より信仰が先

投稿日:

「平和」って時々難しいなと思うことがあります。

特に、こっちの思う平和とあっちの思う平和が食い違うとき。

私が牧会していた時に困ったことの一つは、最新の御言葉に従って教会全体の方向を変えようとしたとき、それでは個人的に不利益を被ると考える人がいたときの対応です。

結果的として教会全体が御言葉通りにして栄えれば誰も損することはないのですが、過程の段階で個人的にそうは思えない人がいると、物事が進まず大変でした。

全体が良くなることを考えての事だったとしても、個人的にそれを良く思わない人にとっては、嫌がらせをされた、という事になってしまいます。

だからどう捉えるかですよね。

全体的に神様の御言葉通りにした方が結果的に自分にも良いと考えるのか、単なる上からの圧力と捉えるのか。

圧力だと思ったらそこからは不和しか生まれません。

自分が邪険にされた、としか思わないからです。

せっかく平和を成そうとして御言葉を教え、御心を成そうとしても、受けた方が圧力としか捉えられないなら残念なことになってしまいます。

だからまずは、信仰が大事だと思います。

信仰がしっかり根付いてない人に、御心のために自分の思いを変えるように言ったところで話は通じません。

神様の存在を信じる。主をその方だと信じる。一般的にはこれだけでも信仰があると言いますが、実際はこれだけでは無理だと思います。

その通りに行えるかどうかです。

だから行いが大事だという事になるのですが、そうは言っても心を無視して無理やり行うのは信仰とは言いません。

そうする方が良いと信じるから行うのです。信じることが先です。

ですから、行いの時代だからこそ、より一層信仰心が大切になると思います。

まだ信仰が深くない人に強く行いの要求をすると、むしろ平和が崩れることになりかねません。

また、たとえ信仰歴が長い人でも、長年安住している人だと変化を嫌がる傾向にあります。

今までこれでやってきて問題なかったのに、なんでこのままじゃダメなの?と。

こうやって対立構造が出来上がってしまうのです。

こういう時は、理解してもらえるようにする努力と、相手を理解しようという努力の両方が必要です。

お互いそんなつもりじゃなかったのに、むしろ御心を成そうと思ってやったことなのに、結果的に平和が崩れるという事がないようにしたいですね。

-私の自論
-, , ,

執筆者:


コメントを残す

関連記事

no image

安全第一だけど・・・

共働き世帯の悩みとして、保育園の空きがなく子供を保育園に入れることができないといういわゆる「待機児童」の問題がよく取り上げられますが、最近は小学生が放課後通う学童保育も空きがないという問題があるようで …

逆境が功を奏した?!

私が30個論の講義以外でも聖書を頑張って勉強したのには、あるきっかけがあります。 それは、1999年。墓の期間に入って、先生が視界から消えた時期です。一時期は説教も届かなかったし、とにかく御言葉含め与 …

成功したければ強い信仰を!

よく、成功哲学とかビジネス書などで「未来の自分に確信を持て!」とか「自己肯定感を高めろ!」とか、思い込みの効果とかそういうことが書いてあるのですが、実はこういうことはすでに聖書にバッチリ書かれているん …

no image

身から出た錆

いつの時代でも、人を貶める事を目的とする行為は必ず自分の身に降りかかります。 最近、ある週刊誌が『文科相が公用車で「キャバクラヨガ」に通っていた』という記事を載せ、一瞬物議を醸しました。 ところが、「 …

no image

恥じらい

今日、駅前の歩道橋を歩いていたら、突然1mくらい前に『ボトッ!』と言う豪快な音と思に鳥の糞が落ちてきました。 あと数秒私が早くそこを通っていたら被害に遭っていたところでした。(汗) 間一髪で被害に遭わ …

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。