今週は刈り取りについての話ですが、命の刈り取り(=伝道)に関して、以前私がバリバリ牧会していたころ心がけていたことについてちょっとお話したいと思います。
ただし、一言で伝道と言ってもどの段階の話かでいろいろ違うと思うんですが、ここでは声をかける段階や聖書の講義をする段階ではなく、教会に人を連れてきたときのことに限定しますね。
結論から言うと、単独で人を連れてくるときも、イベントで多くの人が初めて教会に来るときも、第一に考えたのは、初めて来た人に「喜んでもらう」ということでした。
だから、準備段階から一緒に作戦を練りました。
多分、大抵の場合は教会に連れてくる段階だと伝道者と新入生とで数回はやり取りしていますよね?
それで、伝道者からある程度新入生情報を聞いて準備していたように思います。
イベントの場合は一人一人のニーズには応えきれないから、イベントの趣旨に賛同した人に来てもらうようにして、そのイベントで最大限恵みを受けてもらえるように考えました。
そして当日を迎えるわけですが、ここで注意点があります。
恐らく、伝道者は教会に連れてきて勝負しようという感じになってるんじゃないかと思います。
教会で折ろうという感じ。
それか、その人の反応を見てどうするか見極めようとしていたり。
これってどこでもやってる一般的な流れじゃないかと思うんですが、実は、私個人的には(あくまでも個人的にはですが)この「見極め」って好きじゃないんですよ。
だって、こっちだって神様じゃないのに、一度その人を見たからと言って見極められるんでしょうか?
現実的に考えて、日本人の多くは、「教会」という所に馴染みがないため、初めて来るときはドキドキしながら来ると思うのです。
大丈夫かな。。。怪しくないかな。。自分なんかが来て一人で浮かないかな。。。等々。
勿論、楽しみに来る人もいますけどね。
でもどちらにしろ、最初から長期で通うという予定を立ててくることはないと思うのです。
とりあえず一度行ってみようかな、という感じでしょう。
ですから、最初から新入生に多くを期待するのではなく、まずは「教会っていいところだな」「今日は来てよかったな」「また来たいな」と思ってもらうことが第一だと思うんですね。
それと、この子をあの指導者につなげて、こうして、ああして・・・と、こちらの決めた手順通りにすることばかりに気を配ってもうまくいかないことが多いと思います。
相手は人間ですから。こちらの思惑通りに行くとは限りません。
なので、迎えるこちら側としては、振り分けるとか、見極めるとか、折るとか、そういうことではなく、来た人はみんな御心があるという前提に立って、まずは歓迎、という姿勢が良いと思うのです。
帰ってきた放蕩息子の父親のような心情で。
この子が良いのかどうかではなく、神様の子が今日も一人帰ってきた!という喜びで迎えることが第一なんじゃないかな。。
根本的にこの心がないと伝道って難しいと思います。
だからと言って躓かないようにとばかり新入生の顔色をうかがうのも違います。
こちら側から積極的な姿勢で主と共に恵みの時間を作るのです。
その結果、気に入らなかったなら仕方ないです。
伝道は神様がします。人間は肉的にそのお手伝いをするだけです。
ですから、神様が働きやすいような環境・状況を作るのが私たちの仕事なんじゃないのかな?
私自身は、イベントの後には「今日もいい子がいっぱい来たな。みんな修了できるといいな。」と思ってましたし、一人一人どういうコースで修了させるかばかり考えてました。(^^;
基本的に振り分けることは考えてなかったですね。振り分けは神様がしてくださるでしょうから。
今はコロナで教会に連れてくるという事はないので今日の話はあまり参考にならないかもしれませんが、伝道の心意気みたいなのは伝わったかな。。
あくまでも私の個人的な見解ですからこれだけが正解というわけじゃないですが、何か行き詰っていた人の参考になれば幸いです。
主の祝福が皆さんの上にありますように💛