ちょっとまた衝撃的な内容になるかもしれませんが、私自身が体験して感じていることをお伝えしますね。
「天国」とか「理想世界」とかいう言葉を聞くと、イメージとしては、ほんわかした雰囲気で明るく穏やかで自分もニコニコ笑っていて。。。という感じじゃないかな?と思うんです。
だからとりあえず、まずは自分自身が天国にならなければ、という事で、自分が良い人になろうとする事から始まると思うんですね。
でも、現実を生きていくとそうしてばかりはいられない。
嫌なことに対して感情を抑えられないという問題もあるかもしれませんが、そういうことよりも、実際に自分が「良い人」になるだけでは理想的な状態にならないという事もある、ということです。
特に日本人は自分が良い人であり続けようとして悪役になりたがらないんですよね。でも時には悪役もやらないと解決できないものもあるのです。
なのに、自分は「良い人」で居続けるために問題にもあえて触れず、問題に対しては第三者的な立ち位置をキープしてニコニコし続けている人が多いようにも思います。
「良い人」のポジションを確保しているという感じ。
それだと自分に矛先は向きませんが、根本的には問題は解決しません。だから全体としては理想的にもなりません。
実際、問題に切り込んでいこうとすると、人から反発を食らうことがあります。
切るところは切り、捨てるところは捨て、足りない所は足し、引くべきことは引き、押すべきところは押し・・・など具体的に対策を練らないと問題というのは解決しないからです。
「いいよ、いいよ」「大丈夫よ」とだけ言い続ければ解決できるわけじゃありません。
「様子を見る」というのも同じです。いつまでも様子を見続けたからといって事が進むわけじゃありません。様子を見たいなら期限を切るべきです。
時々、全体を理想的にしたいのか、他人から良い人と思われていたいのか、どっち?と思ってしまうことがあります。
本当に理想的にしたいなら、悪に対しては勿論のこと、解決すべき問題に対しても毅然とした態度で臨まないといけないことがあります。
ただ何があっても何も言わず、ひたすらニコニコしていれば理想世界が成されるわけではありません。
イエス様だって怒る時は怒ります!聖書を読めばわかります。ただひたすら微笑をたたえて「ハレルヤ~!」と言っていただけではありません。それは先生も同じです。
この世の中が完全に理想世界になったなら、その時はみんなただニコニコしていればよくなるでしょう。
主は全てご存知です。人の評価がどうであれ、御心のために勇気ある行動を取れる人を主は全てご覧になっています。
目の前の人にどう思われるのか、というよりも、どうすれば御心が成されるのか、御心を成すために障害になっているものは何なのか、根本的に問題を解決するにはどうしたら良いのか、自分は何をすべきなのか、などの事を考えて行動した時、実際に理想世界が成されるのだと思います。
御言葉を聞いて、頭の中だけ理想的になるのではなく、実際にそうなるように考え、行なって行くことが大事ですね。