私の自論

集団恐怖心

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前回の記事で、Go Toキャンペーンの話題をもとに、不安を基準にするととりとめがないという内容について触れましたが、今回はそれについて、実体験に基づいてもうちょっと深堀りしていきたいと思います。

私たちの教団に大迫害が起こったのは2006年です。

その年にTVの全国版で朝から晩までその話題が流され、ほとんどのTV局のワイドショーで取り上げられました。

勿論、内容は、私たちが見たら首をかしげるようなものばかりで全く納得がいくものではありませんでした。(ここでは具体的な内容について触れると話題が逸れてしまうので省きますね。)

とにかく、真実ではない内容が全国的に流され、多くの人々が私たちに対する誤った認識を持つだろうということは明白でした。

ところが、間違った内容なのに、私たちの間で「それは間違っている!」と勇ましく立ち上がるという行為はほとんど見られなかったのです!

それよりは、今後起こるであろう迫害に対する恐怖心でいっぱいになったのです。

そこでどういう対策がなされたかというと。。。

  • 先生の話はやめよう
  • しばらく伝道は控えよう
  • ひと時二時半時の講義はやめた方が無難

他にもいろいろあったと思います。

ただし、これは公式的に「日本としてはこうします」という方針がなされたわけではありません。

当時は今のように教団が方針を宣布するという状況ではありませんでしたから。一応教団はありましたが、立てられたばかりで体系立って機能はしてなかったのです。

ですから、こういう問題が起きた時はほとんど各教会の裁量に任されており、教会によって方針は違っていました。

それでもほとんどの教会が口裏を合わせたように様々な活動を「控える」「やめておく」という方向に舵を切っていたのは確かです。

その結果、その後数年間は全国的に低迷期が続きました。

「やめよう」という方針なのだから当然ですね。

しかも、一度どん底まで低迷するとそこから浮上するのは相当時間がかかります。

皆さん、今になって上記のような対策をご覧になりどう思われましたか?

今見ると、かなりズレた対策だと感じるのではないかと思うのです。

第一、先生の話をやめてどうするの?私たちはいったい何者?と思いませんか?

当時、先生も私たちを心配してビデオメッセージを送ってくれました。そのメッセージの中で先生自身が「先生の話は今はやめておきなさい」とおっしゃったのならやめるのもわかります。

でも、そのとき先生は「先生がみんなのために祈ってる。先生もいろいろな目にあったけどそれでもつき進めた。だから大丈夫だからつき進めなさい!」と力強いメッセージを送ってくださったのです。

それにもかかわらず、当時、先生の話はやめるということに異議を唱える指導者はほとんどおらず、イエス様の話しかしないという風潮になっていたのです。

だから集団恐怖心って怖いなと思うのです。

一方、私自身はというと。。。何度もお伝えしている通り、私はカトリック出身です。

なぜ今私がここにいるかというと、旧時代の信仰から出てきたからです。

日本のメンバーの多くは体験としては信仰的な旧時代を知らず、ここで学んで知識的に知ってるだけだと思うのです。でも私は実際に旧時代にいた人だったんです。

出てきた私にとっては、そのような対策は昔に戻るも同然。今ここにいる意味がないんですよ。

だって、旧時代の信仰なら、カトリックの方が聖殿は立派だし、体系立って組織化されてるし、そっちに行く方がいいんです。

当時私たちは何もなかったけれど、新しい時代の新しい御言葉があるということが一番の売りだったし、少なくとも私はそこにアイデンティティを持っていました。

また、当時の対策は、自分だけ最上級の救いを得ておいて、人には一段階低い救いしか教えないという罪悪感さえ抱きました。

だから私にとっては先生の話もせず、新しい時代を伝えないということはありえないことだったわけです。

今振り返って当時の間違った点を私なりに分析するなら、「伝道すると迫害にあう」「先生の話をすると迫害にあう」という短絡的な認識観だったと思います。

実際はそうではありませんでした。

報道内容と実際の私たちががあまりにも違ってましたから、その後伝道された人は報道された団体だとは気付きもしませんでした。

勿論、私たち側にも気を付けるべきことはあったし、締めるべきところは締めましたよ。

逆に言うと、ちゃんと気をつけるべき点を気をつけて締めるべきところを締めていれば突き進めても大丈夫、ということなのです。

今、全国的にコロナに対する恐怖心からいろんなことを取りやめる方向に行っています。

何かを突き進める対策を取ろうとすると苦情が殺到してしまいます。

この状況が迫害当時の私たちの状況と似ているな~と思ってしまい、私としては苦笑いするしかないんですよ。

「活動すると感染する」という心配をして「今はやめておく」という風潮。

でも「今は」の期限が明確にあるわけじゃないんですよね。。。当時の私たちもそうでした。

昨日の説教で先生がおっしゃったとおり、自ら気を付けていればそこまで心配することはないのです。

元々自分はそこまでじゃなくても、周囲がみんな恐怖におびえているとそれが自分にまで伝播され、恐怖心を持って当然みたいな風潮になってしまいます。

恐怖心や過剰な心配は正しい判断力を鈍らせます。

周囲の風潮に流されず、自分自身をしっかり持って、自分を停滞させることなくこのような難を乗り越えていきたいですね。

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