今日は久しぶりに本音トークをしたいと思います。(笑)
今からの話はあくまでも私の経験上の話、私が思う話になります。
教会では伝道実績者とか管理功績者など、各方面でよく頑張って結果を残した人がいると思うんですが、その人たちが「功績者」としてみんなの前で紹介されたりすることありますよね?
その時、それを見て落ち込む人が必ずいます。
私も頑張ったのに。。。とか、またいつもの人たちか。。。とか、場合によっては、指導者はうまくいかない人の気持ちも分かるべき。。。など。
勿論みんながそうじゃなくて、中にはそういう人もいるという事です。
うまくいった人を見て「次こそは自分も!」と奮起する人もいますし、早速功績者に近付くなどの行動に移す人もいます。
そういう人は特に心配はありません。
でも、人を見てうらやましくなり、落ち込み、さらには出来ない自分を分かってもらおうとばかりする人、もっとエスカレートすると、できない者同士が集まって愚痴り出すこと。ここまで行くと心配を通り越して悲壮感を感じてしまいます。
私は頑張ってるのにできない、という人にありがちな特徴があります。
それは無意識のうちに「できない自分」という定義を自分にしてしまっていて、出来る人と自分を区別していることです。
そういう人はどんなに功績者の体験談を聞いても「それはあの人だからできる。自分にはできない」と結論付けてしまいます。
それで、できない自分にもできる特別な方法があると信じているようで、あちこちに方法論を聞きまくります。みことばも必ず聞きます。凄くまじめです。
忍耐強く「自分にもできる」という方法論を探し続けているのです。
多分、このような人は一生探し続けていると思います。
できない自分を分かってもらおうとばかりする人も同じです。
「できない自分」という自分象が固定している時点でアウトです。(すみません)
勿論、指導者が分かってあげることはできますよ。分かってあげれば相手の気が済むことも分かっています。
でも、指導者が分かってあげることでは出来るようにはならないという現実を理解する必要があります。
もし、本当にできるようになりたいのなら、自ら「できない自分」というポジションから移動しなければいけません。
しかし、それが結構難しいんですよね。そう言う人に限って「出来ない自分」を大切にしてしまっているんです。
まずは、功績者に近付きたがらない。むしろ避ける。あの人と自分は違うからと。あのテンションにはついていけないからと。
違うから、ついていけないから近づかないといけないんですよ。
やっぱり、結果を出す人は波長が違うんです。方法論の話だけじゃなくて、気質や波長が違うという事です。
逆に出来ない人の波長もあります。同じ波長の人同士の方が一緒に居やすいのでできない者同士が集まりやすいのも分かります。
でも、それだとずっとそのポジションから出ることはできません。
だからこそ、最初は気後れするかもしれないし、居ずらいかもしれないけれど、それでも功績者に積極的に近づいて、その波長を受け、気質を受ける必要があります。
出来ない人の気質が良くない、性格が悪いという意味ではなく、結果を出す気質というのがあるという事です。
あんな気質になるくらいならできないままでいい、という人は仕方ありません。自らできない道を選択しているので私からは何も言う事はありません。
ただし、それを神様が喜ばれているのかどうかは別問題です。
実を言うと、できる人もできない人も、やっている方法自体は大して変わりはありません。
出来る人が「超ウルトラC」みたいな特別なものを持っているというわけではないのです。
出来る人と自分は何がどう違うのか、近づいて行って一緒に行動して体感しないと分かりません。
人は表面的に見るだけでは分からないことがたくさんありますからね。
今は人に会える時ではありませんので、現実的に、功績者に近付くことはできませんが、今までしなかったことは急にできるものではありません。
ですから、今までの自分は何が良くなかったのか、客観的に分析して次に備える期間にしたら良いのではないかと思います。
そして、人に会うことが解禁したら、すぐにスタートダッシュできるようにしておいたら良いと思います。
今は自分を見つめ直すチャンスでもあります。この期間をうまく使って自分自身を変化させていきたいですね。