何事もそうですが、初めに基本を学んだらその後は創意工夫というのが必要です。
例えば、料理も最初は料理本とか既成のレシピを見ながら作りますが、慣れてくるとだんだん自分の味に合うように調味料の配合を変えたり、また自分が作りやすいように過程を簡略化したりしてきますよね。
だからと言って本の通りではない作り方で作った料理は間違いだとか、簡略化したら料理じゃないとか、そういうことは言えないわけです。出来上がったものがおいしければそれで良いのです。
味の好みは一人一人違うし、ある人はこのやり方がやりやすいけど他の人は違うやり方がやりやすいなど性格や個性によって感じ方が違います。
これは伝道や管理にも同じことが言えます。
みことばによって方向性というのは決定されています。ただし、具体的な行動は一人一人が考えないといけません。
「伝道しなさい」という御言葉があるなら伝道することは大前提になりますが、どうやって伝道するかは各自だという事です。
管理もそうです。人それぞれしてほしいことと、してほしくないことが違います。
だから自分で直接肌で感じて考えていく必要があります。特に人を相手にする場合、こうすべき、ああすべきだけでは片づけられないのです。
なんとなく見ていると、まじめな人ほど一生懸命正解探しをしているように見受けられます。
どういう事かと言うと、常に聞いてばかりいるのです。聞いて言われたようにばかりやっています。
そしてうまくいかないと「自分がいけなかった」と言ってまたどうすればいいのかもっといろんな人に聞いたり、「この方法は自分には合っていなかった」といって他の方法論を探したりするのです。
私の個人的な見解では、伝道・管理は現場で直接接している人の感覚が一番です。人が相手だから固定された「正解」というのはないと思った方が良いです。この人には良くてもあの人には良くないこともあるからです。
大事な核はみことばに出ています。それを基本にして、また成功者の話を参考にしてやり始めたらあとは自分の創意工夫が必要だということです。
やってみたら結果を自分で分析し、研究し、うまくいかなかったなら次はこうしてみよう、ああしてみようと自分自身が実験してみないと実力はつきません。
私が以前牧会していた時、報道の影響で日本全体で伝道が進まず、私が牧会していた教会だけ一人勝ちみたいな時がありました。
そのころ「学びたい」と言っていろんな教会から人が来ました。でも、当時実際にやっていたことは特別に優れた方法論を編み出してやっていたわけではなく、ただ普通にみんながやってることをやっていただけなんです。
当時の事を振り返ってみて、何が良かったかと考えてみたのですが、まず、私は司令塔の役割に徹したという事。牧会者なので私があいまいな態度だったら全体が進みません。そして私が後ろ向きな態度を示したら全体が後ろ向きになります。ですから、どんなにひどい状況があっても壇上では絶対に弱気発言はせず、ハッキリとした指示を出していました。
それともう一つ。逆に日々の細かい事は現場に任せていたという事です。勿論報告は受けてましたし、中間指導者の相談に乗ったり、一緒に作戦を練ったりはしましたよ。でも、一々細かいことまで許可制にはしてませんでした。私の性格上そういうのは面倒だったというのもありますけど。(笑)
だから当時は各チームごとの企画が多かったと記憶してます。幹事(当時の中間指導者)がチームのメンバーに講師訓練したり、土曜日にはチームイベントをしたりしてましたね。なんというか、各チームの幹事が好きにやっていたという感じですね。
ちょっと話がそれましたが、とにかく、誰にでも当てはまる正解なんてない!ということを認識する方が良いと思います。
逆にそれが面白さだとも言えます。正解がないから、とにかくうまくいくように、より面白くなるように創意工夫をするところに神様の仕事の醍醐味があると思っています。
いつも自分が合ってるのか間違っているのかを気にするのではなく、もっと面白く走る方法を考えてみたら良いと思います。自分が面白くないと思ってることは相手にもそれが伝わってしまいますから。
みことばで方向性は常に確認しながら、現場でどう行うか、各自が、また各チームが祈って考えてみてくださいね。