ちょっと言葉を選ばずに思うことを言うと、最近、というか平成育ち以降、自称完璧主義者が増えてるような気がしています。そして、この完璧主義が福福を奪われる原因になっていると思うのです。
え?どういうこと?と思いますよね。
私が敢えて「自称完璧主義者」と言ったのは、彼らは私が思う完璧主義とは違っているからです。
私はどんなことがあっても完全にやり抜く人、完璧にやり通せる人が完璧主義だと思っていたのです。
しかし、牧会しながら戸惑ったのは、できない理由に「完璧主義」が上がるようになってきたことです。自分は完璧主義だからできない、と言うんですね。
初めはとても不思議でした。正直、意味不明な言葉に感じました。
それでよくよく話を聞いてみると、彼らは「やり遂げること」とは違うところに完璧さを求め、それを大事にしているという事が分かりました。一言で言うと、「過程」に完璧さを求めているんですね。
例えば、何かの条件を立てる時、それは何らかの目的があって条件を立て始めるのですが、いつの間にか本来の目的よりも条件自体が目的になってしまっていてそれが完璧じゃないと前に進めなくなるんです。
また、自分の気持ちやこだわりをとても大事にしていて、そのこだわっている部分が崩れると「こんな状態ではダメ」と言い出して自ら辞めてしまうというパターンも多く見られました。
私は神様じゃないので、個人の主義主張やこだわりに対して一々評価することはしませんが、ただ、この調子だといつまでたっても成功体験は得られないだろうな、とは思いました。
まぁ、たとえて言うなら、神様は山の頂上からの美しい景色を見てほしくて山に登りなさいと言っているのに、山の登り方がうまくいかないとか、山登りの装備が完全じゃないとか、登っている時の気持ちが上がらないなどの理由で最後まで行きつかないということです。
どんな登り方でも、どんな気持でも、とにかく頂上まで行って景色を見れば神様の意図は分かります。逆に、最後まで行かないと分からないのです。
もし、自分は完璧主義だからうまくいかない、と思っている方々は、一度完璧さを「最後まで行くところ」に焦点を当ててやってみてはどうでしょう?
最後までいけない体験を積み重ねてしまうと、自信がなくなり、ヤル気もなくなり、神様の意図も分からず、それがもらったものを奪われる原因にもなります。
神様は私たちが完璧じゃない事なんて100も承知です。人間は神様じゃないから。なのに自分は完璧じゃないからダメ、というのはある意味傲慢な気もします。
自分の気持ちやこだわりが偶像になってはいけません。
場合によっては、何もなくても何とかする、とにかくやり遂げる、というたくましい精神も必要です。
そして何よりも、神様が人間にさせることは愛の目的があっての事だという事をお忘れなく💛