いつの時代でも、人を貶める事を目的とする行為は必ず自分の身に降りかかります。
最近、ある週刊誌が『文科相が公用車で「キャバクラヨガ」に通っていた』という記事を載せ、一瞬物議を醸しました。
ところが、「キャバクラヨガ」と称されたヨガスタジオのオーナーが断固抗議したのです。うちはそんなところじゃありません、健全なヨガスタジオです、と。
これによって、記事を載せた週刊誌の方が、貶められるという事態が起きています。
最近はサタンの行いが日本中に横行しているのか、マスコミで誰かを貶める記事を載せ、それを国会で大騒ぎすることが大流行ですし、一般でも、ネット上で誰かに対し、または何かの事態に対して集中非難を浴びせる炎上騒ぎが多いです。
しかし、誰かが騒がなくても本当の悪なら神様が裁くでしょう。
聖書にもこのようなことが書いてあります。
ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、 一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。 ~中略~ その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。 (使徒行伝5:34~39)
神様の前では全てがあらわになります。
私たちは、誰かを貶めることではなく、義を行う事、愛することに時間と労力を費やすべきですね。