最近、画面の見過ぎか、あまり目の調子が良くないな~と思い、少しだけ、画面を見ることを避ける生活をしているところです。
気付いたら、スマホとタブレットを持ち歩くのが習慣になっていましたし、使命だからという大義名分はあるにしろ、結構な時間、PCの画面を見ている自分を認識したんですね。
そこでまずは、タブレットを持ち歩くのをやめました。今月の初め頃から。
その代わり、新書とか文庫本とか、本を持ち歩くようにしたんです。
考えてみれば、以前はいつもそうしていたんですよね~。携帯の無い時代は。信仰生活をするようになってからは、よく聖書を持ち歩いて電車の中でも堂々と聖書を開いて読んでいましたし、主日は礼拝の帰りの電車の中で説教を書きとったノートを読んで復習していました。
実は私、自分で言うのもなんですが、趣味に「読書」と書けるくらい元々読書好きなんです。でも最近ではすっかりウェブサイトの文章しか読まなくなっていました。
明け方の礼拝のみことばとか、啓示などをスマホで見れるのは便利だし、スマホやタブレットが必要ないとは思いません。今の時代、救いのためには必要ですよね。
ただ、何事も一長一短あります。特に一般の文章を読む場合。
ウェブサイトの文章は基本的に短く、時の話題が多いですよね。パッと情報を得るには良いと思います。
一方、本は一冊読むとなると、パッとは全部読めないし、それなりにじっくり時間をかけないと最後まで読み切れません。
久しぶりに本を読んでみて、この「じっくり読む」という事が最近少なかったな~と思ったんです。
本を出している人がみんな文章がうまいというわけじゃないとは思いますが、それなりに売れている人や有名な著者だったりすると、文章に説得力がありますし、一つの事柄について、様々な角度からじっくり読み、じっくり考えることができます。
今は素人でもユーチューバーとして動画をアップして芸能人並みの人気を博している人もいる時代です。
誰でも挑戦できる!知識がなくてもコネがなくても若者でもチャンスがある!という点で今の時代は良い時代だとは思いますが、逆にプロの味わいも恋しくなりますね。私の年代だからそう思うのかもしれませんが。
やはりどうしても、ノリがよくて、インパクト重視のものが多いと感じてしまいます。
だから、プロの文筆家の文章を読んだりするのもたまには良いな~と思いました。
つまり。。。何が言いたかったかというと。。タブレットを見る代わりに本やみことばノートを読むようにしたら、思った以上に心が充実した感じになった、ということです。
元々読書好きということもあって、2冊はあっという間に読んでしまいました。今、今月3冊目に入っていますが、これはこれでハマりすぎると良くないので(苦笑)読書もほどほどにしようとは思っています。
今の時代だからこそ、時には「じっくり」という時間も必要なのかもしれませんね。