今日は、いつも使う地下鉄の最寄り駅ではなく、JRの駅の方に用事があり、終わってからその駅の近くにある散策路をちょっとだけ散策してから帰ってきました。
凄く風情のあるところなんです。
今日は曇りですが、散策路が並木道のようになっているので全体的に木陰だし、小川もあって、涼しげな感じのところです。
その散策路を歩きながら、掃除のおじさんを3人見かけました。100mおきくらいに一人ずついて、道をホウキで掃き掃除していたんです。
最初はただ、「あぁ、こういう風に掃除してくれる人がいるから道がきれいに保たれているんだな」と思って歩いていましたが、途中で、ふとあることに気付きました。
このおじさんたちが掃除しているのは、いわゆるゴミではなく、落ち葉だったんです。昨日の雨で道に落ち葉がたくさん落ちたみたいです。
よく見てみたら、散策路には、ゴミを不法に捨てる人もいないようで、ゴミは落ちていませんでした。でも、いくら人間がごみを落とさなくても、落ち葉は落ちますよね。仕方ないです。落ちるな!と言っても落ちるものです。
つまり、誰かが汚さなくても自然に汚れて掃除すべきものがある、ということなんですよね。
自分が汚したわけじゃない、と言って誰も何もしなかったら、道が落ち葉でいっぱいになってしまいます。汚いだけじゃなく、まだ濡れてるから滑って危ないです。
この時、悔い改めってこういうことなのかな、と思いました。
以前先生が、「他人がつけた泥だとしても自分が落とさなければ泥が付いたままで汚い」とおっしゃっていたのを思い出しました。
雨の中歩いている時車が通って泥が跳ねたり、落ち葉が落ちたりするのは、自分のせいじゃないし、その状況・環境の中では仕方がないことなんだけど、泥は落とさないと汚いままだし、落ち葉は掃除しないと後で自分が転ぶだろうし、放っておくと全て自分に帰ってきます。
自分自らが犯した罪じゃないとしても、ある状況の中で腹が立ったり、良くない感情を抱いたら、仕方ないとしても、それでも神様が喜ばれない事なら罪なんですよね。
こういう時って、罪と認めたくないけれど、本当は「〇〇のせい!」と言いたいけれど、やっぱり罪なんだな、悟りました。
落ち葉掃除のおじさんみたいに、仕方なく汚れたものも綺麗にしないとですね。