連日暑さが続いています。毎日のように気象庁から熱中症に関する注意喚起が出ているほどです。
先日は、この暑さの中、野外学習をした小1の男児が熱中症で亡くなってしまうという痛ましい事故も起きました。
そのニュースを学校の先生方は知っているのか知らないのか、その後も似たような事例が後を絶ちません。。リレーをした女子中学生が熱中症で重症とか、校庭で人文字を空撮しようとして38人の児童が熱中症で救急搬送とか。。。
こういう時、「教師は何をやっているのか!」「教育委員会は何をやっているのか!」という声が必ず聞こえてきます。
正直、私もそう思います。言葉が悪くて申し訳ないですが、本当に馬鹿じゃないかと思ってしまいます。
一方、先生側の立場に立つと、自分の立場で勝手に行事をキャンセルできないとか、一教師に決定権がないとか、そういう声も聞こえてきます。
決められたことを勝手にやめるとペナルティがあるんですかね~。保身に回っている人が多いという事なんでしょうか?
ただ、自分の事だけを考えたとしても、行事をやめてペナルティを受けるより、決められたことをやって死者や重病人が出ることの方がよっぽどその後の人生に悪影響を及ぼすと思うんですが。。。
個人より組織が大事、という日本の体質。
これは一定の成果を上げるには良いこともありますが、人の命がかかっている場合は話が違います。
それで、全国各地で起きているこういう現象について、ちょっと考えたんです。
よく、ある種の発達障害を持つ人は、「植物に毎日水をあげて」と頼まれると、たとえ雨の日でも水をやってしまうと聞いたことがありますが、日本の組織がそんな感じなんじゃないかな、と。
基本的に、急に予定や計画を変える、という事ができないんですよね。
「どんな状況でもノルマをこなす」「任されたことは何が何でもする」などとても素晴らしい話なんですが、場合によっては命取りです。
現場の判断、ちょっと角度を変えて言うと、神様がその場で瞬間与える霊感や前兆にもっと敏感に反応しないといけないんじゃないかな?と思います。
教師たちの中には「今日はやめた方が良いんじゃないかな…」という予感・霊感が来た人が絶対いたと思うんです。神様がそういう霊感を与えないはずがないですから。でも、上からの許可がないし、責任持てないから、自分の中でもみ消しちゃうんですよね。
そしてこの現象は学校のみならず、日本の様々な組織において言えるんじゃないかとも思うんです。教会組織においてもです。
非常事態や緊急時には特に、霊感が重要です。
個人の意識改革はもちろんのこと、非常時に現場での霊感を生かせる組織になるよう、組織としての意識改革も必要ですね。