私の自論

科学的根拠は絶対的?

投稿日:2019年5月14日 更新日:

最近、ふと思ったことがあります。

私は今現在、何の疑いもなく心から神様を信じているけれど、これ自体がものすごい祝福なんだな、ということ。

今は著名人の見解などがネットですぐにわかる時代ですが、いろんな人のいろんな意見・見解を見ながらなんとなくそう思ったんです。

科学至上主義の人も多いですよね。科学的根拠がないと信じないという人。

確かに信じるには根拠がないといけない。だから根拠を求めること自体は良いと思うんです。

それで、彼らの根拠は科学論文なんですよね。科学者が研究した結果導き出された答えが論文としてまとめられて発表されます。それを科学的根拠としているわけです。

○○(場所)で、こういう実験や調査をしたところ、こういう結果が出た、ゆえに△△という結論が導き出された、という感じ。

確かに、確実な根拠に見えます。

ただ、科学的根拠って私からするととても流動的なものなんですよね。一昔前と今とでは全然違う見解になっているものも多いじゃないですか。しかも、当時も今も科学者の研究に基づいて提唱されているんです。

例えば、健康に良いとされている食べ物や習慣など、様々に提唱されています。昔は良かったものが今はダメになっていたり、中には同じものを指してある人は良いと言い、ある人は危険だと正反対の見解を示すことだってあります。

み~んな自分の研究結果から導き出された見解であり、科学的根拠に基づいているわけですよ。

科学は進歩しています。進歩しているのは良いことです。ただ、進歩しているという事は、今も変化続けているということであり、完璧じゃないという事だと思うんです。

私の中では、神様が創造なさったこの世の法則を人間が解明していく作業が科学じゃないかな、と思っています。だからまず科学より先に神様の法則=真理がある、ということ。これは絶対に動かない。科学が真理に近付いている、という感じですかね。

私が神様を信じる根拠は、一言で言うと感じるからです。自分の体験だから、誰が何と言おうと変化しません。たまに、そういう人の体験すらも科学的根拠で説明したがる人がいますが、正直その説明は体験者を納得させるものではないことがほとんどで(説明する方は完結しているみたいですが)、逆にそこに固執する人が哀れに見えてしまいます。(余計なお世話だと言われそうですけどね。)

信じてしまえば全て辻褄が合うのに、信じなくて他を探そうとするから無限ループにハマるんです。

とにかく、絶対者神様を素直に受け入れられるということ自体が本当に大きな祝福だな、と思います。これも一種の才能かも。(笑)

もしかしたらいろいろ反論したくなる人がいるかもしれませんが、いくら反論されても私はこれで幸せだから変えるつもりはありません。

信仰の祝福をくださった神様に感謝します!💛

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