ニュースで、小さな飲食店が30人貸し切り予約を受けたけど、当日一人も来なかった、と言う記事を見ました。つまり無断でドタキャンされたわけですね。
当然ですが、店主はとても悲しんでいたそうです。心を込めて料理を準備したから。
この記事を読んで、なんか、自分自身の体験とオーバーラップして、このお店の人に対して、悲しみと同情の気持ちが湧きました。
伝道を頑張った人は経験があるかもしれませんが、新入生との約束で、あれこれ準備していたけど来なかった、ということ、過去に何度もありました。本当はあってはいけないですけど。
これ、凄く悲しいんです。
こっちは新入生のことを考えてあれこれ準備するじゃないですか。今日はどういう風に迎えて喜ばせてあげようかな~と。
この御言葉をこういう風に伝えて、その後はあの子はこれが好きだからこの料理を出して、とか、このおやつを出して、とか、あれこれ考えるわけです。
それが何の連絡もなくドタキャンされると、待っている間は「きっとくるはず」と期待しつつも、ある一定時間になると期待がため息に変わり、準備したものも無駄になるし、それ以上に、そこにかけた心が無になっちゃうんですよね。だからとっても悲しい気分になるんです。
だからこの店主の方の気持ちも察します。
でも。。。実は、私たちは神様に対して、先生に対して、しょっちゅうこういう思いをさせているのかもしれません。
神様は人間が喜ぶ姿を思い浮かべて、愛してあれこれ準備してくださっているのに、私たちが悟らず、不満を言ったり、寂しがったり、背を向けたり…。かなり神様を悲しませているように思います。
今のご時世、ドタキャンなんて結構あるのかもしれないですけど、こういう世の中の出来事を通して、我が身を振り返り、神様の思いを無にしないようにしたいですね。
情報源 ☞ 「信じて待ったのに」一人も来なかった