またまた最近思うことの一つ。
ニュースを見ると、どちらかというと、嬉しい話題よりは悲しい話題が多いですよね。
特に最近は、小中学生がいじめで自殺とか、福祉施設で虐待の疑いのある死とか、親が子供を虐待して死なせるとか、とにかく人が死ぬニュースが以前より多くなってしまったような気がします。
一昔前なら、死に至る事件といえば、いわゆる凶悪な「殺人事件」がほとんどだったと思うんですが。。。
でも、最近目につくのは、特別な事件というよりは、日常の延長上で死に至ってしまうようなケースです。それで毎回、どうして防げなかったのか、という議論になります。
つまり、「日常」が一昔前とは違うのでしょう。
生活スタイルが違うのも勿論ですが、それ以上に、人々の日常の精神状態が違うのかな?と思います。
人々の無関心が叫ばれて久しいですが、今は他人への無関心を通り越して自意識が過剰になり、他人の痛みを感じるよりむしろ「自分が痛いんだ!」という考えが日常になっているのかな?という気がします。
ただの無関心なら放っておくと思うんです。でも、他人を死に至らしめるまで執拗にいじめたり虐待するのは、過剰な自己愛に他ならないんじゃないのかな?と。
「お前のせいで」「こいつのせいで」自分がひどい状況になっている、と言う思考。また、とりあえず一緒にいじめておけば自分は安心、と言う思考。
でもこれってまさしくルシファーの考えじゃないですか?
こんな日本のように、聖書も神様もサタンも知らない人々の上にも、着実にサタンが計画を実行しているのだなと認識せざるを得ません。
つまり、サタンもサタンの世界を着実にこの地に広げているということです。
私たちが今自分の問題でぐずぐずしている間にどんどんサタンの世界が広がっているという現状を認識しないといけませんね。
『光をつかむように速く実践!』という言葉は、必要性があるから出た言葉だなと思います。
今年も残りわずかですが、最後までサタン以上のスピード感をもって神様の世界をこの地に着実に広げていきたいですね!