私の自論

教えることは最高のマスター法

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私が牧会など指導者の経験があって良かったと思う事の一つは、教える立場だったという事です。

自分自身を振り返ってみると、牧会者になったばかりのころ、到底人様に教えられるような能力があったわけではありませんでした。でも、そういう立場になってしまったから教えざるを得なかったのです。

その結果、自分自身が一番学んだし、身に付きました。

実際、教える前は確認するし(間違ったことは教えられないので)、ノートなどにまとめて頭を整理するし、その時点ですでに聞いただけより身に付いていますが、さらに教えることで完全に頭に入ります。

また、教えれば質問されたりもするだろうから、それでまた考えたり調べたりするようになります。

話を聞くこと、読むことはインプットですよね。インプットばかりだと忘れてしまいます。インプットは受け身なので。たとえ記憶力が良くて覚えていたとしても、身に付いたとは言えません。

だから、講義するときなどはできれば講義案も自分で作った方が良いです。誰かが作ったものを見るのはやはりインプットです。私自身は講義案作りでかなりみことばが自分の中に入りました。自分が自ら作るのは能動的な行いであり、アウトプットです。

昔の牧会者は講義ばかりではなく、いろいろやって見せたり教えたりしなければいけない立場だったので正直プレッシャーも感じていましたが、おかげでいろんなことができるようになったと思います。今となっては感謝しかありません。

大抵の人は、自分はまだ教えられない、と思ってしり込みしたり、自分は講師の使命をもらってないから、指導者じゃないから、といって教えることは自分には関係がないと思ったりするのではないかと思います。

でも、教えるのは最高の実践なのです。

スポーツでも、自分ができることと人に教えることは違いますよね?教えることで改めて確認することや認識することがあると思います。

だから、事の大小を問わず、どんな分野の事だとしても、聞いた話や学んだ事などはすぐに誰かに教えると良いのです。

日曜日に聞く説教も自分なりにノートにまとめたり、自分で小見出しを付けたりなどするだけでも全然違います。

だから、いまからマスター法を勉強するより、さっそく教えてみることがより早道だと思いますよ。

まだ足りなくても知っている分だけ教えればよいのです。

神様が自分に働かれていることを感じられるのは、受け身の時ではなく自分が実践するときです。

是非トライしてみてくださいね。

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