アメリカのあるマイナーリーグの球団で、日本との文化交流イベントを開催したそうです。
その際、3人のアメリカ人がはっぴを着て空手のポーズを取ったりなどの映像をTwitterに上げたところ、大炎上したそうです。
「人種差別だ!」と。
それを受けて、球団側はその映像を取り下げたそうです。
最初意味が分からなかったんですが、アメリカ人がそういう格好をして日本人の真似をしていること自体が人種差別や侮辱と受け取られるようです。
正直、日本人の私が見ても特に不快感を感じることはなく、むしろ、アメリカ人がはっぴなんか着てお茶目だな、と、好意的にも感じられました。
しかし、人種差別に敏感なアメリカではこういうことが大炎上してしまうんですね。
しかも、苦情を投稿して大炎上させた人たちはほとんど日本人じゃないんです!
考え方の違いもあるかもしれませんが、敏感すぎるのも不便だな、と思ってしまいました。
数年前に日本で「鈍感力」という本が出版され、大ヒットしてましたが、それをちょっと思い出しました。
当時私もその本を読んだのですが、確か、何に対しても敏感すぎて心が傷ついたり落ち込んだりしてしまうより、何も気にならないような「鈍感力」を身につけた方が世の中強く生きていける、というような内容だったと思います。
現代は何かと敏感過ぎる傾向がありますよね。敏感に反応することこそ意識の高いことだと考える人が多いようです。
勿論、本当に困っている人がいることに関しては敏感にならざるを得ませんが、今回のように主催者側に悪意もなく、差別されているとされる当の日本人がなんとも思ってないのに外野が騒いで炎上というのは、何とも窮屈な世の中だな、と思ってしまいます。
でも、似たようなことは日本の社会にもあると思いますし、正直、摂理の中にもあると思います。
「鈍感力」と言うと語弊があるかもしれませんが、つまりは「大目に見る」という心も必要なんじゃないかな、と思いました。
言い換えれば、『愛の心で見る』ということですね。
お互いに『愛の心で見る』ということができれば、誤解やすれ違いがもっとなくなって和睦が進むんじゃないでしょうか?
愛の心で見て接することができる人、キリストの香りを放つ人になりたいですね。