表題の件について、私の経験をもとに、挑戦した時としない時の違いや挑戦するときの注意点などお伝えしたいと思います。
まず大前提として、自分は功績を残したいか、それとも無難に過ごせれば良いと考えているかを確認する必要があります。これからお伝えする内容は、無難に過ごせば良い人ならあまり役に立たないかもしれません。
結論から言うと、無難なことをすれば無難な結果が出ます。というか、無難な結果しか出ません。そのかわりリスクもありません。だから安心ですね。
功績より安心が良い方は常に無難な過ごし方をするとよいと思います。
逆に、何か功績を残したいと思う方は、是非挑戦するべきだ!と言いたいです!
ただし、挑戦にはリスクが伴います。成功か失敗かのどちらかの結果が出るからです。だからどうしても失敗したくない、恥をかきたくない、心配で情緒不安定になる、という方は挑戦しない方が良いかもしれませんね。
話が前後しますが、ここで私が言っている挑戦とは自分にとって未知の世界に足を踏み入れてみることで、無難とは今まで通り、言われた通りにだけすることです。
私は自分で言うのもなんですが、結構挑戦してきた方です。とは言っても、今となっては普通の事なんですけどね。当時は誰もやっていない事だったので挑戦でした。
例えば。。。既婚者や高校生を伝道すること。インターネットを使うことなどなど。え?それが挑戦?と思いますよね?
でも、当時の教会の状況は、ほとんどが大学生と20代の社会人で成り立っていたのです。30代はすごく大人という感じでした。(笑)
だから初めは既婚者を伝道しようとしたら『そんなことしていいの?』と言われたんですよ。高校生に関しては「高校生なんて大丈夫?」と言われましたし、インターネットに関しても『そんなことして平気?』と言われました。
私は基本的に聖書で禁止されていることや説教で明らかにやめなさいと言われたこと以外はOKという基準でしたので、あれこれ言われても気にせずやってしまいました。(笑)
その結果、当時としては他が不思議に思うほど実績を残せたんです。
挑戦するときは必ずと言っていいほど体験することがあります。それは、ちょっと言葉を選ばずストレートな言い方をすれば、「アドバイス」という名の横やりが入ることです。
それまで誰もしていないことをしようとしたら、ほぼ必ず横やりが入ります。しかもそれはアドバイスという形で親切心で言ってくるものです。だからそこで心が萎えてしまう人や考えを変えてしまう人が多いのです。
私が思うに。。。経験したことない人のアドバイスは基本的にスルーで良いのでは?と思います。(笑)経験者のアドバイスは一応心に留めておくと良いとは思いますが、その人の状況と自分は違うという事も考慮しないといけません。
とにかく、日本人はリスクを恐れすぎてアドバイスに耳を傾けすぎる人が多いように思います。安心を得たいから誰かからOKをもらいたいんですよね。その心理は分かります。
でも私の考えでは、みことばに基づいて祈って得た霊感なら即やってみるべきだということです。うまくいくかどうかなんて相談したところで誰も分かりません。だから自分が実験台になる、というくらいの心意気でやれば良いのです。
ただし、それで失敗しても誰かのせいにしてはいけません。それは挑戦を台無しにする行為だからです。誰かのせいにして自分が可哀想な人になってしまうなら挑戦したメリットが得られません。
でも、傍から見たら失敗だとしても、やった本人は経験値が上がるし、そこから学ぶことや感じることもあるし、やったことで次の霊感が来たりするので必ずしも失敗とは言い切れないと思うのです。
そこで得た経験をもとにして再挑戦をすればまた段階が上がりますし、自分が挑戦することで道が開けることもあります。
だから挑戦しようとするときや挑戦して思うような結果が得られない時、一々「アドバイス」が入るでしょうけれど、その時どう対応するかです。アドバイスしてくれる人の親切心は受け止めるとして、でもその人は神様ではない、という事も心に留めないといけません。自分の人生の責任を負ってくれる人ではないのです。
ちょっと思い切ったことを書きましたが、全部私の体験談です。
私はあれこれ挑戦して成功も失敗もありましたが全然後悔してません。逆に楽しかったです。そして今も挑戦しています。
聖書に記録された人も皆挑戦者です!神様は挑戦者を引きずり下ろすような方ではありません。御心に沿った挑戦は必ず助けてくださいます!逆にそれが神様との経緯じゃないですか?
せっかく聖書を学んで信仰生活するなら、たくさん挑戦して、たくさん神様との経緯を作って過ごせたら良いと思いますよ!