ある一つのことに向かってみんなで頑張る!って、実はとても楽しいです。
最近は個人主義だからそういうのが懐かしいです。
勿論、昔が良かった、というわけじゃないんですが、特に前半期、ドタバタ劇のようではあったけど、とにかくみんなで頑張ってた頃が楽しかったなと思う時があります。
みんなが運命共同体みたいで、一体感がありました。
そういう時は、言われなくても愛の法が適用されていたような気がします。
個人的に動いていると、隣の人の事情も分からないことが多いですからね。原理原則的にならざるを得ないのかもしれません。
自分は大変、自分は辛い、自分はまだまだ、自分は忙しい、自分は・・・と、「自分は」が考えのメインになると難しい気がします。他の人の事なんてかまってられない感じですから。
本当に相手を愛していれば、自然とその人が生きるために一番良い法が適用されるんじゃないのかなと思います。
『私もまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。』(コリントⅠ10:33)