最近、とある所の待合室で読んだ雑誌に「離婚」に関する手記がありました。自分の体験談を綴ったものです。
それをなんとなく読んでしまったんですが。。。それぞれ経緯は違うにしろ、みんな共通していたなと思ったのは、「情がなくなった」ということでした。
勿論、そういう手記って大抵自分が被害者の立場で書かれますから真相は分かりませんが、とにかく最終的には情がなくなったわけです。
一例を挙げると、ある女性は、息子が思春期に入るころから息子に馬鹿にされ始め、旦那もそれに同調。数年間耐えたけど、どんどんエスカレートして暴言も日常茶飯事。結局精神に支障をきたしたので実家に戻り離婚。
後から、旦那に「そんなつもりじゃなかった」とか言われたけど、もう旦那の名前を聞くだけで動悸がするし、息子に対しても、自分のおなかを痛めた子だけど愛情が湧かない。後から息子も連絡してきたみたいけど、話す気も合う気もない。と、こんな感じ。(かなり要約してます)
まぁ、いろんな手記があったけど、とにかく、女性でも男性でも、パートナーや子供、姑などから自尊心を傷つけられ、耐えられなくなり、離婚に至るケースがほどんとで、後から謝られても泣かれても、もう情が湧かない、というより、何も感じないのだそうです。
前回のブログで、人は自分の尊厳を重んじてくれる人に心を開く、という内容を書いたんですが、今回は全く逆の話です。
人は、自分の尊厳を深く傷つけられ、修復できないままいると、完全に心を閉ざし、情がなくなり、無感覚になるのだな、と思ったんです。本当に情が無くなっちゃうと、人の心って石みたいになっちゃうんだなと。
しかし、傷つけた方は大抵、「離婚」という事実を突きつけられてから「冗談のつもりだった」とか「そんなつもりじゃなかった」とか言うんですね。
でも言われた方は、すでに相手に対して何も感じなくなってるんです。何も感じないということは、もうどうでもいい存在という事です。
ケガや病気も本来は治せるものでも「手遅れ」ってありますよね。心の傷も、相手の悔い改めで癒すことができるタイムリミットがあるのかなと思いました。
タイムリミットを過ぎると、もう手遅れで、何をしても修復不可能。
また、「致命傷」というのもあります。これは一発アウトになります。心も「致命傷」を負うと、やはり修復不可能です。
よく「金の切れ目が縁の切れ目」なんて言いますけど、実際は「情の切れ目が縁の切れ目」だなと思いました。
今週は主日の説教で悔い改めの話が出ましたが、人に対しても、神様に対しても、タイムリミットを迎える前に、修復すべきことは修復しないと大変なことになりますね。
前回と同じになりますが、一人一人が貴重な存在だ思うことが本当に大切ですね。