ある記事で、大人になって分かったことの一つが、「平凡な人生を送ることは難しい」ということ、というのを見ました。
確かにな~‥と思いながら、ところで、平凡って何だろう??という疑問が湧き、「平凡」の意味を調べてみました。そうしたら、
「平凡」・・・ [名・形動]これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。また、そのさま。(デジタル大辞泉より)
とありました。
うむ。。。実際意味を調べてみて、これって本当に良い?と思ってしまいました。
「これといったすぐれた特色もない」自分になりたい人なんているのかな??「ごく当たり前な」人生ってなんだろう??とさらなる疑問が湧きました。
実際、いろんな人と面談した経験上、自分には個性がないとか、特に何もできることがないなどのことで悩んでいる人が多いです。
それであれこれ考えてみました。どうして人々は「平凡な人生が幸せ」と思っているのだろう??と。
考えた末、恐らく「苦労」は波乱、「何もない」が平凡だと思っているのではないか、という結論に達しました。何の苦労もない人生を人々は「幸せな人生」だと思い、それを「平凡な人生」と言っているのではないかということです。
それから、実際に自分が幸せだと感じる時や、充実感を感じる時ってどんなときだろう?と考えてみました。
確かに、心身共に健康で苦労もなく痛みを感じない時も幸せだと思いますが、より強烈に感じるのは、何かを成し遂げた時や達成した時じゃないかな?と思いました。
何かを達成するには「何の苦労や痛みもなく」というのは恐らく不可能でしょう。そこに至る過程では、様々な壁にぶつかったり悩んだりして、その度に主を呼び求めて一つ一つ乗り越えながら何かを成し遂げていくものじゃないかな、と思うんです。
痛みや苦労の末、平安が訪れるときに平安のありがたさを身にしみて感じるわけで、毎日がそうだったらそれはそれで、「平安」がマンネリ化し、退屈になるでしょう。
だから、実際は「平凡な人生」は退屈な人生だと思いますし、「いろいろあったけど良かった!」と最後に言える人生が充実感いっぱいで幸せな人生なんじゃないかな~。。。なんて個人的には思いました。
つまり、「主との経緯がたくさん詰まった人生が幸せ!」なんだと思います!