共働き世帯の悩みとして、保育園の空きがなく子供を保育園に入れることができないといういわゆる「待機児童」の問題がよく取り上げられますが、最近は小学生が放課後通う学童保育も空きがないという問題があるようです。
空きがないということは、それだけ学童保育に入れたがる保護者が多いという事ですよね。
また、問題は空きがないことだけでなく、学童保育で教える内容や規則もそれぞれで、最近は特に安全性を重視するため遊びに制限を付けることが多いようです。
極端な例を挙げると、見つけられなくなると大変だからかくれんぼは禁止とか。当然、子供は不満を持つわけです。
今は確かに共働き家庭の方が多いし、時代の流れとして学童保育は必要なのかもしれませんが、こうなるとどうなのかな?と考えてしまいます。
私が小学生のころ、多分学童保育というものはなかったと思います。もしかしたらある所にはあったのかもしれませんが、少なくとも私の周辺には存在しませんでしたし、そんな言葉も聞いたことがありませんでした。
今考えると、私が小学生の頃は、放課後いろんなハチャメチャなことを平然とやっていたように思います。
私は外で遊ぶのが好きだったので、校庭で友達とドッチボールをしたり、鉄棒をしたり、縄跳びをしたり。。。等々。鉄棒や縄跳びはブームがあってその時は技の習得に余念がなく、ひたすら鉄棒、ひたすら縄跳びなど外が暗くなるまでしていました。
実際、振り返ってみると鉄棒は結構危ないんですよ。でも当時は技の習得のために頑張ってぐるぐる回ったり、着地の練習をしたりしていました。当然ケガもしましたし、スカートを破ってしまったこともあります。回り過ぎで目が回ってしばらく動けなかったこともあります。(苦笑)
家の近くにあった、自分の身長より少し高い高さのフェンスの上を綱渡りのように歩いて行くという事もしました。友達と何mまで歩けたかと競ったり。今やったら絶対に怒られますね。(^^;
でも、そういう遊びを通して身体も鍛えられ、安全と危険の境界線を認識したり、何かを習得したり上達したりする喜びを感じていたように思います。
そういう現場にいちいち先生はいませんでしたし、親も見てませんでした。特にフェンスの綱渡りなんかはわざわざ大人が見てない所でやるんですよ。ケガをしたからと言って、なぜ先生は監視義務を怠ったのか、というクレームを入れる親もいませんでした。
なんとなく、今の世の中は『万が一何かあったら大変』→『誰かに面倒を見てもらう(監視する)』というのが一般的な認識なのかな、と思いました。
事故やけが、クレームを「防止する」には誰かに見てもらい、いろんな規則を作り制限を付けるのは仕方ないとは思いますが、私個人としては、もっとたくましく育てることも考えないといけないんじゃないか、とも思います。
人生、常に誰かが面倒を見てくれるわけではないのです。
幼い時から、監視下のもとで安全に過ごすことも悪くはありませんが、様々な経験を通して霊感・直感を鍛え、身の危険や相手の痛み等を察知する能力を身につけることも後々役に立つのではないかな~なんて思いました。(あくまでも私個人の意見です。)
小4男子の直訴が映した「学童保育」の大問題
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181218-00254936-toyo-bus_all