表題の通り、最近多様化多様化と叫ばれていますが、私自身は「多様化ってそんなにいいのかな?」と思い始めています。
人を傷つけないため、人権を侵害しないため、弱者の声に耳を傾けるべき、人として心を広く持つべき等々多様化を肯定する理由は様々ですが、今ニュースで目にする様々な社会問題は、多様化を認め過ぎたために起こったんじゃないのかな?と思い始めているんです。あくまでも私個人の考えですが。
人の生き方についてとやかく言うつもりもないんですが、とはいえ、どんなに個人の自由があるとは言っても、自立できないなら自由なんて認めるべきじゃない、と思うんです。
自由と好き勝手は違います。
自由には責任が伴います。
自分で自立できず、誰かに依存することで成り立つ自由ってどうなんだろう?と思うんです。実際に社会問題にまでなっているわけですからね。
こういうと必ず『そういう人の気持ちも理解しないといけない』という意見が出ると思います。理解することで解決する人はそれでいいと思います。
でも、聖書に照らし合わせても、神様の仰る自由は真理の中での自由。何でもかんでもOKという自由じゃないですよね?
多様化、という言葉は一見良いのですが、何でもかんでも認め過ぎて無秩序になっているように感じます。うまくサタンに利用されているような気がしてなりません。
神様のなさることは本来「時にかなって美しい」のです。(伝道の書3:11)
既存の枠を超えて発展していく方向なら多様化は希望がありますが、周囲が頭を抱えてしまうなら多様化も考え直す必要があるんじゃないでしょうか?
今は、なんでも否定的な見解はタブー視されていますが、だからこそ敢えて、多様化は方向を見極めないと危険、と言いたいですね。