昨日礼拝後、法律の専門家のメンバー3人と一緒にうちの問題を解決すべくいろいろと作戦を練る時間を持ちました。
これは100%肉的な問題で、私のうちの個人的な内容なのですが、みんな本当に親身になって考えてくれました。申し訳ない気持ちと同時に深い兄弟愛を感じる時間でした。本当に感謝します。
専門家3人ががかなり頭を悩ませていたのを見て、やはりこの案件は一筋縄ではいかない難しい問題だったんだな、と思いました。
問題そのものが難しいというより、父に関わることを私がやろうとするからいろいろと難しいんですね。本人じゃないから。
まだ解決まで至りませんが、このことでここ数年悩まされている自分を通して、どんな小さなことでも「問題」は自分の代で全て解決しないといけないなと感じました。
ちょっと大変でも本人がやればそんなに障害もないのに、次の代に持ち越すからさらに複雑になってしまうのです。
正直「父が自分で解決しないまま認知症になってしまったから悪いんだ!」と言いたくなりますが、だからと言って「私のせいじゃない!」と言って放置すればその問題ごと私が相続することになってしまうんですね。
自分が大変だと思っても、次の代に持ち越すともっと大変になるという事を改めて悟りました。
自分に関わる問題は全て自分の代で解決してしまえば、その後の自分自身にとっても良いし、後世にも迷惑をかけません。
これは霊的な問題、救いの問題も同じことが言えます。
自分の代で解決しておけば、自分と子孫が祝福の家系になるのです。
現実に、祝福された家系となぜかうまくいかない家系というのがあるんですよね。
霊肉共に、不の要素は自分の代で全て断ち切っておかないといけませんね。