今回は、同じ言葉・単語でも人によってこんなにも受け取り方が違うのか、という事を強烈に認識した体験をご紹介しますね。
実は私、過去に日本語教師をしていたことがあるんです。
その時、初級クラスの授業を受け持っていた時のことです。
『~~は好きです』『~~は嫌いです』という表現を勉強していたんですね。初めはテキストに従って解説をして、その後、私が教室の生徒さんを指名して「〇〇さん、~~は好きですか?」とか「嫌いですか?」という質問をして答えてもらうという事をしていました。
そして、ある韓国人の男子学生に「〇〇さん、犬は好きですか?」という質問をしました。学生と言っても男性の学生たちはほとんど20代後半でしたね。女性は10代もいましたけど。もしかしたら当時は徴兵が終わってからじゃないと留学できなかったのかもしれません。
まぁ、とにかく、20代後半くらいの男性に「犬は好きか嫌いか?」という質問をしたわけです。
もし日本人がこの質問を聞いたら、「私は猫の方が好き」とか「私は犬派」とかそういう感じで考えるんじゃないかと思うんです。
ところがその時私が指名した男子学生はなんと「犬肉最高!!」と答えたんです!(笑)
そうしたら、他の韓国人と中国人の男子たちも口々に「そうそう!犬肉は最高!おいしい!!」と言ってかなり盛り上がってしまいました!(笑)
物凄くカルチャーショックでしたね~。ただ、同じ韓国人と中国人でも、女性は「え~?なにそれ~??」と言わんばかりに嫌そうな顔をしていたので、女性は食べないのかもしれません。
犬肉ついて詳しいことは分かりませんが、とにかく実際の体験としてこういうことがありました。
「犬」という単語から連想されるものが彼らと私とでは全然違ったんですね。
これは日ごろそれについてどう接しているか、どういう認識観を持っているかで同じ単語から浮かぶ考えが全然違うということの典型的な例だと思います。
人についてもそうだし、人の言葉についても何事についてもそうです。
こういう認識感のずれから偏見や誤解が生じ、不信感が生まれてくるのだと思います。
犬についても、世界のある地域には食用の犬がいるということを知らず、そのような習慣もない人が「犬肉最高!」という言葉だけを聞くと「なんて野蛮な・・恐ろしい‥」としか考えられません。
自分の認識は今まで自分が見聞きしてきたことから形成されてます。しかし自分が見聞きして来たことは世の中の一部分です。全てをご存じなのは神様だけ。それを自覚していないと偏見と誤解の塊になってしまいます。
何事も自分の認識感だけで判断してはいけませんね。