また雪の話題。(^^;
今日、近所の道を通ったら、未だに雪がとけてない所がありました。しかも、雪が結構大きな塊であったんです。まだこんなに大きな雪の塊が残っていたんだ。。。と、ちょっと驚きました。
最初その雪の塊を見た時、きっと日当たりが悪い所だからだろう、と思いました。確かにそこは壁際で日陰だったので。
それを見ながら、どんなに太陽の光が降り注がれていても、位置によっては日が当たらないのだな、と思い、これと同じく、神様の愛がどんなに降り注がれていても、自分の位置によっては感じにくいのかも。。。などと考えていました。
それからさらに歩きながら、ふとあることに気付きました。ちょうど歩いていた道路が商店街の北側で同じように日が当たらないところだけれど、完全に雪はなくなっていたんです。
なんとなく不思議に思って、雪の塊のあった所と、その道路との決定的な違いは何だろう??と考えていたら、ある考えがぱっと思い浮かびました。
雪の塊のあった所はただの日陰。でも、雪がなくなっていたところは道路で人や車の往来があり、常に使われている所。
その道路は大通りではなく細い通りではあったけれど、人が結構通るから優先的に雪かきもするし、人や車が行き来するときに削られていくから雪が無くなっていくんですよね。
でも、日が当たらない場所で、使われもしない所はいつまでも雪が残っていました。だからそこは遅れたところだ!と思いました。しかもそういう場所は雰囲気もちょっと寂し気な感じ。
人間も、暗闇の世界で神様に使われないとこういう感じになるのかな、と思いました。
それと同時に、大通りではなく細い通りでも使われている所は手入れが成されているように、大舞台で華々しくなくても、目立たなくても使われることは大事だな、と思いました。
私たちは神様の真理と愛が降り注がれる位置に自ら行って、そこで細々とでも使われる存在でいたいですね。