根性主義はいけないとか、「頑張れ!」と言うのは相手に負担をかけるから良くないなどと言われてから久しいですよね。
でも、今日、ふと、人々が感動するシーンって根性や頑張りが見られるときじゃないのかな?という考えが浮かびました。
例えば、オリンピックなどスポーツでは、死闘を繰り広げた場面とか、不屈の精神で頑張ったとかが「名場面」として人々の記憶に残っているし、芸術でも、渾身の演奏や演技など、それが伝わってくる時に人々が感動すると思うんです。
なんとなく、スマートにうまくこなしているような状況だと、凄いな、とは思うかもしれませんが、感動、とはいかない気がします。
極端な話、場合によっては、金メダリストよりも記憶に残る選手がいたりしますよね。結局、「感動」が人々に影響を与えるということなんだと思います。
先生を見てもそうですよね。
今、現代人は何事もスマートにやろうとし過ぎているんじゃないのかな?という気がします。イマドキ汗水流して苦労して成し遂げる、というのは好まれないんでしょうね。
でも、私たちは、人々に影響を与えないといけない使命です。
ただスマートにうまくこなすだけでは、人々に何の影響も与えない気がします。
キリストの香りって何でしょうか?愛?平和?柔和?勿論そうですけど、それは結果であって、結局は生き様だと思うんです。
わざとキリストの香りを放とうとして放てるものではなく、キリストの生き方をしてみた結果、自ずと愛や平和の香りが放たれていくのではないでしょうか?
講義一つとっても、ただうまい講義よりも、渾身の講義が相手に感動が下ると思うんですね。
そのためには、やっぱり、地道な努力、根性、頑張りは避けて通れないんじゃないのかな。
本当にカッコいい生き方って何なのか、考えてみないとですね。