昨日、ふと、常にオリジナルを確認できるというのは、とても恵まれていることだし、戸惑わなくて良いことだな、と思いました。
よくある話ではありますが、長年いるベテランがたくさんいると、心強くもありますが、人によって言うことが違ったりとか、そういう問題ってありますよね。(^^;
この先輩とあの先輩の言ってることが違う等のことって、多かれ少なかれ誰でも経験があるんじゃないかと思うんです。
言われる方は戸惑ってしまいますよね。どっちが正しいの?と。
でも、人間だけの組織だとそれも仕方ないように思います。口伝えや言い伝えだけだと、伝言ゲームと変わりないですから、どうしてもズレが出てくると思いますし、もっと言うと、人はその時の気分や状況で考えることが変わりますから、同じ人があの時とこの時で言うことが違ったりすることもありますよね。
だからこそ、原本の御言葉が誰でも読める、ということが大きいなと思いました。
たとえ人によって言ってることが違っても、自分が原本を確認できますから。
逆に言うと、常に自分で原本を確認しないでいると、世の中でよくあるように「ああ言われた」「こう言われた」で戸惑ってしまうと思います。
だから原本を確認することは責任分担ですね。
与えられている、と言うことは、それに伴って責任分担が発生するということでもあると思います。
私たちはたくさん与えられているから、たくさん責任分担があるということです。でも、これが人に左右されずに楽に生きる方法だな、とも思います。まさしく神様の方法ですね。
主を最優先に、ということも結局は私たちが戸惑わずに生きるための最善の方法なんだと思いました。
やっぱり神様の方法は最高ですね!