評論家の宇野常寛氏が、イベントでお笑い芸人の「いじり」を受け、それを不快に感じたため退席した、という記事を見ました。
いじった方は「みんなが面白くなるため」にしたというのですが、受けた方はそれを不快に感じ「いじめだ」とまで言ってるんですね。
私自身は、昔から芸人さんの「人を落とす」ギャグというのはどこが面白いのかわからなかったし、面白いどころか不快に感じていたので、「お笑い」はいっさい見ていませんでした。正直、笑えない。。。
ただ、芸人さんは、特にコンビの場合、いじられ役があって、台本もあって、ある意味計画的にしている事ですし、しかもそれでお金をもらっているのですからいじられ役が「いじめられている」という感覚ではないでしょう。だから私のようにそれを見て不快に思う人は見なければいいだけ、という事になるので公の問題にはならないと思うのですが、畑違いの人にするのはどうかなと思います。
現代の笑いがサタン的になっているのが気になります。人が落とされるのを見て自分のストレスを発散するというスタイル。サタンは自分の腹いせに人間を攻撃し、苦しむ姿を見て喜ぶ存在です。
現代のいじめ問題が、TVのお笑いの影響を受けてないとは言い切れないと思うんですよね。人を落として受けてる芸人さんを見て『自分もああすれば人から受ける』と勘違いしてしまっている子が少なからずいると思うんです。
しかし、笑いの根本は神様。誰かが傷つくのは「お笑い」ではないと思います! みんが笑えないならお笑いとは言えません!!
いじる方向が、みんながほんわかするとか、本人が言えない功績など証してあげるとか、そういう方向だったら良いんですけどね。
サタン発ではなく、神様が発信する幸せな笑いが世の中に広がることを願ってやみません。
宇野常寛氏、「いじり」という名の「いじめ」に抗議しイベント途中退席。その線引きは?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00010006-wordleaf-soci